2年A組タイトルマッチ
前編
汗臭い空間が目の前にある。その中で、サンドバッグを叩き続ける一人の少女を聡美は見つめていた。男の中に一人、混ざっているためにそのショートカットの髪形をした少女の姿はよく目立つ。
相坂未希。
女子高生でありながらプロボクサーを目指している彼女は聡美のクラスメートでもあった。未希が聡美の父が開いている古矢ボクシングジムに入門してきたのは、聡美が高校に入学して三週間が過ぎた頃だ。それまで未希と話をしたことがなかったが、その時、たまたまジムに顔を出して、手伝いをしていたため、彼女と始めて会話を交えることになった。その時の会話の内容は今でもはっきりと覚えているほど印象深げなものだ。
聡美はジムの中に入ってきた未希の顔を見て眉を持ち上げたまま、話しかけた。
「もしかして入門?」
「うん、そうだよ」
「へえっこんな野蛮なスポーツやりたいなんて変ってるねぇ」
「へへっ、そうかもね。でも、なんか魅力を感じるんだよ」
彼女は照れ臭そうな笑顔を作りながら答えた。そのあとも、彼女と話をしているうちに聡美は彼女に好感を持つようになった。自分を飾らないところに自分と似たものを感じたのだ。それからというもの聡美は未希と親しくなり、学校で一番仲の良い友達となった。
それにしてもものすごいパンチだと聡美は思った。サンドバッグを叩いている未希はパンチを打つ度にサンドバッグを激しく揺らし、爽快な音を飛ばす。パンチのスピードもとても速く、これが同じ女子高生が放ったものなのかと感じてしまうほどだ。
未希がサンドバッグを打つことを止め、椅子に座り、休憩に入った。白いタオルで顔を拭いている。ふいに未希が左に顔を向けて、目があった。立ち上がり、こちらへとやってくる。
「なんだ、ずっと見てたのか。照れ臭いだろ」
と言いながらも嬉しそうな顔をしている。
「悪い、悪い。暇だったんでね、ちょこっと様子でも見ようかなって。で、どう。大分上達したの?」
「あたしに自画自賛しろっていうの」
未希が笑って言った。
「おっと、これで休憩は終わり。あと、一時間で今日は終わりだからそれくらいになったら降りてきてよ」
「分かった」
「じゃ、あとでね」
未希は踵を返し、戻っていく。今度はパンチングボールの前に立った。リズム良く、ボールを打っていく。
未希が入門してから一年と二ヶ月が経とうとしている。三ヶ月前、未希はプロになることを決意した。
自分がやり続けていることの成果を結果に出したい、だからプロのリングに上がることに決めたんだ。
未希は聡美にそう言った。その時、聡美は未希がそこまでボクシングに熱中することが理解できなかったし、今でもそれに変りはない。でも、未希が練習している姿を見ているとその度に未希は打ちこめるものがあって羨ましいなと思うのだった。「やるぅ〜由希子」
「Bチーム負けるな〜」
その日の体育の授業はバスケットボールだった。今、聡美の目の前では試合が行なわれている。コート場にいる生徒は皆、目をぎらぎらと光らせながら真剣にプレイしていた。それだけならよいのだが、勘弁して欲しいのが声援の数だ。たかが体育の授業でここまで熱くなった声援の数には興ざめする。
御嬢さま学校である蘭場羅流女学院ではスポーツが出来る生徒は尊敬されるというわけの分からない傾向がある。そのため体育の時間といえど皆は白熱するのだ。
たかが体育の授業じゃん。もっと気楽にやろうよと言おうものなら彼女たちから小言を散々聞かされ、たまったものではない。
聡美は溜め息をつきながら隣に座っている未希の顔を見やった。未希も憂鬱な表情をしている。おそらく同じようなことでも考えているに違いない。
その直後、未希と目が合った。彼女は肩をすくめて見せる。やはり、同じことを考えているようで聡美はくすっと笑った。
目の前の試合が終わり、同じチームに振り分けられた聡美と未希の試合の番がきた。二人はコートへ入る。相手チームのメンバーを見て、聡美はさらにうんざりとした気分になった。それは今、聡美の姿をじっと見つめている小泉裕子のためだ。小泉は学年でもトップクラスの運動能力を誇っていて、去年のスポーツ大会では大活躍をしている。そんな彼女には自然と取り巻きがつき、それで天狗になっている彼女も当然のように大きな態度を振舞っている。そういった人間である小泉を聡美は嫌っていた。それが態度に自然と出て感づかれたのか、それとも、情報がどこからか漏れ、彼女の耳に入ったのかは知らないが、一年の秋の頃には小泉も聡美に対して、敵対心を見せるようになり、今では二人の間には常に険悪な空気が漂っている。
試合が始まると、聡美と未希の二人は真剣にプレイをした。それは手を抜いているのがばれるとチームメイトから文句を言われるためだ。実際、過去に手を抜いたプレイをしたことで何度か小言を聞かされたことがある。何で一生懸命プレイしないの?チームメートに失礼じゃないの?と。それは、正論なのだけど、聡美の価値観からすればくだらない理由に過ぎない。しかし、そんなことを言えば、さらに小言を聞くはめになるので、仕方なく彼女達に付き合うだけだ。小泉相手だから真剣にやろうという気持ちはさらさらなかった。スポーツで優劣をつけようと思うほどガキではない。
試合は15対12で負けたまま、残り時間3分となった。未希の放ったシュートはリングに当って、大きく弾かれた。ボールが地面に落ち、聡美はボールを掴んだ。それと同時に二本の手がボールを掴んでいた。最悪なことにその相手は小泉だ。小泉の手を振り払おうと、ボールを右に振ったその瞬間、右手が固いものに当った感覚を覚えた。何事だと思い右を向くと、新井比呂乃が仰向けで倒れている。
慌てて新井の元へ駆け寄った。声をかけるも「うう・・」と目を瞑ったまま呻き声をだすだけだった。聡美は完全に動揺しきっていた。どうしよう・・、そう思ったときだ。
「比呂乃にやってくれたじゃない」
小泉の声が後ろからかかった。肩を狭めながら後ろを向くと、小泉が唇の端を少し吊り上げ両腕を組んで立っていた。聡美は新井が小泉の取り巻きの一人であることを思い出した。
「ごめん、でも、わざとじゃないんだ」
「どうかしら。あなた私達のこと嫌っていたじゃない。内心ざまーみろって笑っているんじゃないの」
「そんな・・」
言葉が続かなかった。喉がからからと乾く。怒鳴り返してやることも出来ず、ただただ頭の中が錯乱していった。何も考えることが出来ない。気分が重い。
「何か言ったらどう?それともわざとだって認めるの?」
「ふざけるな!聡美がそんなまねするわけないだろ!」
未希の怒鳴り声が体育館に響いた。未希が小泉の前に出てきている。
「さぁ、それが分からないから聞いているんじゃない」
「聡美は謝っているんだ。いやらしく攻めるのは止めろよ!」
「あれで謝ったって言うの?あれじゃ謝った内に入らないわ」
「何調子に乗ってるんだ。ぶん殴るぞオマエ!」
未希が両腕を持ち上げ、ファイティングポーズを取った。
「別に構わないわよ。ほらやってみなさいよ」
小泉は自分の頬を右腕の人差し指でつついてみせた。
「頭きた!」
未希が前に出る。
ダメだ。未希、あんたの拳は凶器なんだから、喧嘩に使っちゃまずい。
未希を制止しようと声を出した。いや、声は出ていない。からからに乾き、圧迫した喉から声を出すことは出来なかった。
未希がそのまま向っていき、右ストレートを放った。
しかし、次の瞬間、吹き飛ばされたのは未希の方だった。両腕を上げ、体が宙を飛んでいる。そして、背中から落ち、両腕を上げ、バンザイのポーズを作って倒れた。
信じられなかった。未希が倒されるなんて。
呆然とした表情で聡美は未希の姿を見つめ続けた。未希は白目を向いて失神してしまっている。
そんな・・
聡美は表情が固まり、そのすぐあと、思い出したように小泉の方に目を向ける。小泉は右腕でパンチを放ち終えた体勢だった。にやりと笑っている。それはこの上なく憎たらしい顔に映った。
普段は得意の国語の授業を真面目に聞いている聡美だったが、今日は真面目に聞くゆとりはなかった。
聡美は横目でちらっと隣の席に座っている未希の顔を見た。未希はむっつりとした表情のまま教科書を見ている。右の頬が紫色に腫れ上がっていて痛々しく感じてならない。
未希の頭の中は聡美のことで一杯なのかと思った。それとも早く忘れたいから全く違うことを無理して考えいているのか。いや、未希の性格からして前者に違いない。
体育の授業で未希が失神したあと、体育の教師の指示に従っては里香とサユキの三人で未希の体を担ぎ、保健室に向った。保健室に着いた後も未希は失神したままで保健室の先生に授業に戻るよう言われて、仕方なく、保健室を後にした。
その後、次の国語の授業に入り、途中で未希は教室に入ってきた。未希とはまだ一言も話せていないため、未希の心境が全く分からないでいる。未希がどう思っているのか気になって仕方がなかった。
それにしても未希にパンチを食らわせるなんて小泉は一体何者なんだろう。人生を舐めきった単なる御嬢さまかと思っていたのに。ただ今回のことで小泉はますますつけあがることは間違いなかった。そう思うと気が重くなる。
授業が終わった。未希に目を向けると席から立ち上がっていた。
「未希、何処行くの?」
「職員室だよ。木田に呼ばれているんだ」
木田とは体育の教師だ。女の先生で、しかも体育教師なのに大人の女性の色香が漂い、少し変わった感じの教師である。
未希が教室を出て行った。そのすぐ後に、小泉も教室を出て行った。小泉も職員室に呼ばれているのかと聡美は思った。職員室でまた喧嘩にならなけらばいいんだけど、あとは、木田がどう出るか次第か・・・。
ちょうど四時限目の終わりだったので聡美は里香とサユキと共に弁当を食べながら未希が帰ってくるのを待っていた。
弁当を食べながら、昨日のテレビの話をしたのだが、会話の内容は聡美の耳に全く入らなかった。未希のことがずっと気になる。
教室の席に座り、話しているところでドアの開く音がした。振り向くと未希がこちらへ来ている。
「何だったの?」
「小泉も呼んで事情聴取みたいなもんだ」
「それだけ?」
「いいや、体育館で小泉とボクシングの試合することになった」
「えっ?」
思いしない言葉が未希の口から飛び出て聡美が声を漏らした。
「何でそうなるのよ?」
「小泉がまたむかつく言葉を連発しやがるから胸座つかんでやったんだ。そしたら木田があたしを小泉から離して、その後に、『分かったわ。こうなったらボクシングで決着を付けましょう』って言ってきたんだ。あたしはその提案をOKした。小泉もね」
「まったくあんたも小泉も木田も一体どういう神経してるんだよ。それに大丈夫なの?そんな簡単にオッケイして」
「このまま引き下がれるわけないだろ」
未希はむっつりとした表情で言い放った。「たくさんきているなぁ。体育館が一杯じゃないか。御嬢さまぶっていてもなんだかんだいって野蛮なことに興味あるんだな」
むっつりとした表情しながら未希はリングの上から辺りを見回している。こんな大勢の前で小泉と戦わなければならないことが不満のようだった。だったらオッケイしなければ良かったのにと聡美は思いながら返した。
「御嬢さまといってもホントの御嬢さまはほんの一握りってことよ」
客席がざわめき出した。体育館の入り口から小泉が姿を現したようだ。小泉は唇の端を軽く持ち上げ、自信に満ち溢れた表情で夏見の姿を見つめていた。その後ろには小泉の取り巻き三人が一列になって後を着いてくる。そんなにセコンドが必要なのか、自分の派閥の大きさをただたんに自慢したいだけじゃないのかと聡美は思った。
「2年A組相坂未希〜!」
リングに上がっている放送部の生徒がリングコールをした。未希は軽く右腕を上げた。「頑張れ未希〜」「頑張ってよ~」と声援が上がり、拍手がぱちぱちと沸き起こった。
「二年A組小泉裕子〜」
小泉も軽く右腕を上げ、生徒達から声援と拍手が沸いた。
次にレフェリーが二人をリング中央へ呼んだ。二人はリング中央で睨み合う。その姿を見ているとこの二人の少女がこれから殴り合いをするんだということが現実ものとして感じられてくる。
聡美は未希と小泉が試合することが決まってから今日までの二週間、ボクシングを勉強してきた。夕方はなるべく、ジムの練習場に顔を出し、皆が練習している姿を観察し、ボクシングの雰囲気に慣れることを、夜は父の部屋からこっそりと取ってきたビデオを観たり、本屋で買ったボクシング入門の本を読んだりしてボクシングの知識をたくさん取り入れようと務めた。自分のことが原因で未希は小泉と戦うことになったのだ。どんなことでもいいから未希の役に立ちたかった。しかし、現実には付け焼刃の知識では未希にアドバイスを送ることなんて何もない。結局、未希には励ましの声を送ることしかできない自分が聡美は歯がゆくて感じてしょうがなかった。
未希がコーナーに戻り、マウスピースを口にくわえ、後はゴングを待つだけとなった。赤コーナーにいる小泉に目を向けた。両腕をロープの上にのせ、口元を緩ませ、憎たらしいが、余裕が感じられた。
実際、二週間前に小泉は未希を一発でノックアウトしている。その余裕ははったりではないことは分かっていた。未希は小泉に勝てるのか、そう考えるとどんどん不安になっていく。
「何心配そうな顔をしているんだ。あたしがやられるところを想像しているのか。この二週間見てきたあたしの練習していた姿を思い出してみろ。負けるところなんて想像できるか?」
そうだ、未希はこの二週間驚くべき練習量をこなしてきた。いや、この二週間だけのことじゃない。未希はいつも必死になって練習を励んでいる。その頑張ってきた姿を見ているからこそ、未希には勝たせてやりたかった。絶対小泉なんかに負けることがあってはならないのだ。
「心配なんてするわけないじゃない」
「そういうこと。安心して見てなって」
未希が軽く笑ってみせ、顔を小泉のほうに再び向ける。
ゴングが鳴り、試合が開始された。未希がコーナーを出ていく。未希の背中がどんどん離れていく。もう自分にはどうにもならない。あとは未希の力を信じるしかない。
未希は上体を軽く振りながら、パンチの届かない距離を保ち、未希の様子を見続けていた。一方、小泉もリング中央で足を止めてじっと未希のことを見ている。未希はなかなか攻めに出ない。小泉のことを警戒しているのだと聡美は思った。
ついに未希が攻めに出た。ジャブを続けて放っていく。それをガードした小泉もジャブを返していく。二人がミドルレンジで打ち合いを始めた。どちらのパンチも全く当らない。その光景は到底女子高生二人が行っているものとは思えないハイレベルなものに見えた。
息の詰まる攻防を聡美は瞬きをこらえてじっと見つめる。
だが、その攻防も徐々に差が出始めてきた。小泉のパンチを未希はかわしきれなくなっているのだ。それでも未希はパンチをくらいながらもすぐに反撃に出て、ペースを握らせないように懸命になっていた。
小泉の右ストレートが未希の顔面を捕らえた。強烈な音を発した一撃を食らいながらも未希が右ストレートで向っていく。
「行け未希。打ち合いに負けるな」
聡美は大声を振り絞り、応援した。
その声援に応えるかのように未希が連続してパンチを放つ。
「そうだその調子だ、未・」
グワシャァ!!
聡美が口を開けたまま、その表情が固まった。
未希の顔面が思いっきり歪んでいた。小泉の右拳がめり込み、未希の頬をへこませている。唇が不自然な開き方をして歪み、左目が潰れ、もう残った右目は焦点が定まっていない。
未希の口の中から白い物体が吐き出された。
歯なの?
ボトッとリングに落ちる。歯じゃない。あれはたしか、マウスピースっていうやつだ。口の中を守る防具。
歯じゃなかったことに安心してもいいはずが、未希の口の中からマウスピースが飛び出たそのシーンは聡美の心をさらに重くしていた。理由は分からない。でも、心が締めつけられる。
グシャァッ!!
さらに未希の顔面に小泉の左拳がめり込んだ。未希の口の中から吹き出たものは今度は血だった。
未希が後ろによろめいてコーナーポストを背にした。
グシャッ!!グシャッ!!グシャッ!!
聡美はすぐ目の前で未希の揺れ続ける後ろ姿と、憎たらしい笑みを浮かべながらパンチを放ち続ける小泉の姿を目にした。
鈍い音と、吹き上がる唾液と、血、そして、時々聞こえてくる未希の呻き声に聡美は言葉を失っていた。
カーン
ゴングが鳴り、連打が止まった。
「まだ試合は始まったばかりなんだからね」
小泉がそう言い残して踵を返し、赤コーナーへと戻っていく。
聡美は急いでリングに上がった。
椅子に座った未希の顔を聡美は見た。顔面から流れ落ちている鼻血が痛々しかった。顔も赤く腫れあがりつつある。
聡美は顔をしかめた。
「まだこれからだ」
荒い息を上げながら未希が言った。未希は自ら気持ちを高めようとしている。
あたしは何をしているんだ・・。それはあたしの役目じゃないか。鼻血を見たくらいで動揺していちゃだめだ。
「そうだ、まだ始まったばっかなんだからこれからだよこれから」
励ましの声をかけ、未希の鼻の穴に綿棒をさした。セコンドがすべきことは未希に全て教えてもらっている。最大限サポートしなければ。あたしはそれくらいしか出来ないんだから。
綿棒で鼻の穴に溜まった血を拭き取っていると未希は「フガッフガッ」と辛そうな声を漏らした。
「ごめん痛かった?」
「痛い。でも、痛いことには慣れているよ」
まだ、デビューもしていないのに一端のプロボクサーみたいな台詞だった。ここがプロのリングの上でないかと錯覚してしまう。少なくとも、この試合が醸し出す雰囲気はプロ以上に殺没としている。
その殺伐とした試合の中で小泉のサンドバッグとなりつつある未希の顔を聡美はタオルで拭き、未希の顔から血と唾液の汚れは消えた。でも、頬と瞼が両側とも少し、赤く変色している。未希が1Rに受けたダメージの量が見て、分かる。これ以上はお願いだから顔が腫れないで欲しいと聡美は願った。未希は女の子なんだ。これ以上腫れちゃまずいよ。
だが、聡美は数ラウンド後、未希のとんでもない顔面を見るはめになる。
後編
グシャァッ!!ドガァッ!!バキィッ!!ドボォォッ!!
小泉が放つ強烈なパンチの連打が未希の体を容赦なく痛めつけている。
ラウンドが変わる毎に未希が優勢になることを願いながら、コーナーから出ていく未希の姿を見送り続けた。でも、試合の展開はラウンドが進むたびにますます未希が一方的に殴られていくようになるだけだった。
ロープで囲われたリングの中がとても遠く感じられた。小泉にいいように殴られ続ける未希を聡美はただ見守るだけしか出来ない。聡美が出来ることは未希が勝つことを祈り、励ますことだけなのだ。
しかし、聡美が祈り、励ましても現実は何も変わらない。未希がボコボコに殴られていくことに変りは起きないのだ。
カーン
ゴングに救われ、未希は疲れきった状態でコーナーに戻ってきた。どんと椅子に座り、背中をコーナーポストに預け、頭を下に垂らしている。未希の体はすでにぼろぼろだ。そして、散々殴られ続けたその顔はもはや原型をとどめていないほどに腫れ上がっていて、見ているだけで心が締めつけられる。
未希がリング上でいいように殴られ続けている姿を見続けるのはあまりにも辛い。もう見ていられない。これ以上戦って欲しくなかった。
棄権しよう。何度その言葉が喉から出かかったことか。
でも、言うことは出来なかった。
試合前、未希が言った。
「絶対にタオルだけは投げないでくれ」
「でもそれじゃ未希の体が・・」
「小泉なんかに負けてみろ。これからの学校生活が苦痛なだけだ。それにボクシングで負ける訳にはいかない。ボクシングはあたしの全てなんだから。大丈夫、やばくなったら自分から倒れるから」
聡美はそれに頷いた。未希のボクシングに対する熱意を分かっていた。それに騒動を大きくさせたのは未希だが、元々の原因は聡美にある。未希が聡美をかばったために未希は小泉とボクシングで決着を付けるはめになったのだ。
未希はこの二週間「自分のために小泉と戦うんだ」といった台詞を繰り返していた。しかし、その言葉を繰り返すことで聡美のために戦う思いを持っていることを不器用な性格の未希が隠そうとしていることに聡美は気付いていた。首を振ることなんて出来はしなかった。
未希がうがいをして容器に水を吐き出した。赤く染まった水に混じって白いものが転がる。
それは一本の歯だった。
聡美は言葉を失った。
そんな・・・。
酷すぎる。未希は十六歳に過ぎない女の子なのに歯を折られるなんてあまりにも残酷すぎる。
聡美は歯を食い縛る。
それでも耐えるしかない。戦っている未希の方があたしよりも遥かに辛いんだ。未希のことを最後まで信じなければ。
「そ・そんな顔をするなって何度もいったろ・・。小泉のパンチなんて・・全然効いてないぞ。次のR必ず挽回するんだからさ」
未希がぎこちない動きでこちらに顔を向け、途切れがちに言葉を出した。未希はこんな状態になってもあたしのことを思いやりながら戦ってくれている。それに比べてあたしは・・
何も出来ない自分が改めて悔しかった。
聡美は首を縦に振った。何、あたしは自己嫌悪しているんだ。未希を応援しなきゃ。それだけしかあたしには出来ないんだから。
「頑張ってよ、未希」
聡美の声に頷いて未希は椅子から立ち上がった。
そして、第5Rが始まった。でも、試合展開は何一つ変わらない。いや、前のRよりも小泉の連打に未希が捕まるのが早かったかもしれない。ただ事態が最悪であることには変りなかった。
グワシャァッ!!
グワシャァッ!!
グワシャァッ!!
小泉のラッシュがさらに激しさを増していく。血がリングに撒き散り、赤く汚れていく。もう未希はロープにつまり、サンドバッグのようにめった打ちされているだけだった。何の抵抗も出来ず、小泉のパンチをもらい続ける。
未希、頑張って!頑張ってよ!
未希の殴られ続ける姿に聡美の瞳から涙が零れ落ちそうになった。聡美は目に泪を浮かべながらぐっとこらえる。その時、突然、男の声が聡美の耳に届いてきた。
「裕子さん、もう止めるんだ!」
その声で小泉のラッシュが止まった。サンドバッグとなってめった打ちされていた未希は両腕がだらりと下がり、唇の端からはだらりとよだれが垂れ、目はぼんやりと宙をさまよっていた。
小泉が斜め後ろを振り向き、その男の顔を見た途端、うろたえた表情に変えた。聡美は、目に浮かんでいた滴を拭い、再度男に向けを向けた。リングの側にはジーパン姿の男が立っていた。童顔で子供っぽく見えるが、体格はがっちりとしている。20くらいだろうか。
突如現われた男の存在で周りはざわめいていた。
あの男は小泉と一体どういった関係なんだ?事態が全く見えてこない。
「何しにきたの」
「こんな試合をして何の意味があるんだよ。もう止めよう」
男は訴えかけるような口調で小泉に話した。
小泉の顔に動揺が表れていた。小泉は俯き、黙ったが、ややあって顔を持ち上げた。
「分かったわ。終わりにするわよ」
意外な言葉が小泉の口から出た。男はホッと胸をなでおろしている。聡美もこれで試合が終わるのかと思うと未希の負けは悔しい反面、これ以上未希がやられている姿を見なくて済むことに安堵の気持ちも生じていた。
しかし、どういうわけか小泉が不適な笑みを浮かべていた。
えっ?
「この一発を最後にね」
そう彼女は言っていた。そして、次の瞬間、体を未希の方に向き直し、両腕がだらりと下がっていて無防備の状態だった未希の顔面に小泉は右ストレートを叩き込んだ。
グワシャァッ!!
小泉の拳がめり込み、未希の顔面が無残にもひしゃげた。未希の顔面から血が撒き散っていく。前へと崩れ落ちていく未希の顔面が小泉のお腹に触れ、そして、ずるずると下に落ちていった。小泉のお腹には赤い血がべっとりと付いている。
そんな・・・・。
小泉の凶行に聡美は言葉を失った。
あたりがシーンと静まり返った。その中を小泉が毅然とした態度でコーナーへと戻っていく。コーナーに戻り、ロープに両腕をかけ、彼女は言った。
「カウント忘れてるわよ、レフェリー」
それでレフェリーがはっとした表情をして慌ててカウントを取り始めた。
未希はうつ伏せの状態で倒れたまま全く動かなかった。今度ばかりは未希も立ち上がれそうにないと聡美は思った。それほど強烈な倒れ方だった。
小泉のコーナーから先程の男と小泉が言い争う声が聞こえてきた。
「もういいでしょ。試合も終わったんだから!」
ヒステリックな小泉の大声がこちらにまで届く。
「勝手に試合を終わらせないでよ」
未希が立ち上がろうとしていた。
嘘・・。
信じられなかった。上体が起き、目に映った未希の顔面はさらに酷いものへと変貌していた。でも、瞼が大きく腫れ、僅かに開いている未希の両方の瞳はしっかりとした眼差しで小泉を見つめていた。
未希がついに立ち上がる。そして再び口を開いた。
「ここまで好き放題殴っといて途中で帰ろうなんて虫が良すぎるんじゃない。男とイチャイチャしてないで早くかかってきなよ」
立っているのがやっとなのにそれでも未希は小泉を挑発する。
「望み通り打ち殺してやるわ」
その場に立っている未希に向って小泉がダッシュして向っていった。小泉が右ストレートを放つ。
未希よけて!
聡美が両の掌を合わせ、願った。
だが、願いは届くことなく、次の瞬間、未希の顔面は小泉の右ストレートで潰されてしまっていた。
強烈な打撃音が響き、血が撒き散っていく。だけど、未希は倒れない。それどころかパンチを出して反撃に出ていった。この攻撃に虚をつかれたのか小泉が防御に回る。でも、パンチが当たることだけは無い。
鉄壁のディフェンス。そう表現してしまうほどに小泉の防御は完璧だ。
「申し訳ないんだけど・・」
突然、すぐ側で声をかけられて聡美はびっくりして振り向いた。そこには小泉に話しかけてきた男が立っていた。
「セコンドの君にタオルを投げて欲しい。もう勝負はついている。これ以上やっても彼女が傷つくだけだ」
タオル。その言葉を耳にして、その物の存在を思い出した。これを投げれば試合は終わる。未希はもう殴られないで済むんだ。
でも────
聡美は首を振った。毅然とした表情を男に向ける。
「それは無理です。例えもう勝ち目がなくても未希が勝負を捨ててないのにあたしが勝負を投げることなんてできません」
「彼女の体が心配じゃないの?」
「心配に決まっている。でも、彼女はまだ戦う意志を持っている。だからあたしは未希を信じる」
男は背中を向け無言で去ろうとした。
「待って」
男が振り向く。
「教えてください。あなたは小泉とどういう関係なんですか。小泉に一体何があるっていうんですか?」
「ごめん、先に自分たちのことを話さなくて失礼だったよね。僕は小泉ボクシングジムのジム生で、裕子さんはそのジムの一人娘なんだ」
「えっ?」
意外な言葉だった。小泉がボクシング経験者であることはもしかしたらと思っていた。でも、まさか小泉が自分と同じジムの娘だったとは。
「裕子さんはホントは優しい娘なんだ。会長の果たせなかった夢を自分が代わりに果たそうと思って、中学2年の頃からジムで練習するようになったんだ。最初、会長は裕子さんがボクシングすることに反対だったんだけど、裕子さんはものすごい才能を持っていて、どんどん上達していった。それで会長も次第に裕子さんに熱心に教えるようになっていったんだ。でも、厳しくし過ぎたのが悪い方向に働いてしまった。怒られてばかりだった裕子さんは会長と衝突して、それ以来ボクシングを止めてしまったんだ。裕子さんは、きっとボクシングを続けている未希さんが羨ましかったんだ。だから、こんな行動に出てしまったんだ・・」
男の言葉が乾いて聞こえた。
グワシャァッ!!グワシャァッ!!
リングの上ではまたも小泉のラッシュが始まっていた。連続して聞こえてくる打撃音に聡美の心が絶えず締めつけられていく。
「こんなことになってホントに申し訳ない。でも、このままじゃ彼女の体が心配だよ」
「ホント心配かけ過ぎだよ未希は」
少し声が震えていることに聡美は気付いた。唇をぐっと噛み締めて涙をこらえる。
あとどれくらい彼女は殴られ痛い思いをし、あたしは心を締めつけられるんだろう・・。ゴングが鳴り、第5Rが終了した。その直後、未希は後ろへと崩れ落ちていく。リングの中にいち早く入っていた聡美は未希の背中を抱き止めた。未希の鼻が詰まった苦しそうな呼吸音が聞こえてくる。未希を椅子に座らせて血と唾液で汚れた未希の顔面をタオルで拭いた。
「大丈夫、未希?」
「あ・ああ」
未希からは弱り切った声が返ってきた。
それから聡美は男から聞き出した小泉のことを話し始めた。未希は聞こえていないかのように下を向いたまま何の反応を示さなかった。ややあって下を向いたまま口を開いた。
「相手がどんな事情があろうと関係ない。好き放題殴ってくれているお返しをしなきゃこっちは気が済まない。大丈夫、だんだん分かってきたんだ」
未希が何を言っているのか分からなかった。
「えっどう・」
ここでインタバール終了を告げるブザーが鳴り、未希が立った。そして、ゴングが鳴り、コーナーを飛び出していく。
どういうことなの?
結局、聞けずじまいのまま、試合は第6Rを迎える。
ダッシュしてきた小泉の右ストレートが未希の顔面を打ち抜いた。未希はすぐに反撃へ転じる。
グワシャァッ!!
未希の右ストレートが小泉の顔面に決まっている。あんなに当たらなかった未希のパンチが何で・・。
さらに未希の左右のフックが小泉の顔面を往復した。
「パンチを打つコツがようやく分かってきたよ」
そう言って未希がもう一度右ストレートを小泉の顔面にぶち込んだ。
「試合の最中にパンチのスピードが上がるわけなんてないわ」
小泉が大声を出して左ストレートを未希の顔面にお見舞いした。未希の膝ががくがく揺れる。
だが、未希はすぐさま右ストレートを小泉の顔面に決める。今度は小泉の膝ががくがく揺れた。
そんな馬鹿なといった表情を小泉はする。
「パンチ力はあたしの方が遥かに上だね」
グボォォッ!!
小泉のお腹に未希のパンチがめり込んでいく。
「ぐはぁっ」
小泉の口からマウスピースがこぼれ、前屈みに倒れていく。
小泉がカウント8で立ち上がってきた。すでに小泉の顔から余裕は消えうせていた。真剣な眼差しで未希を見つめている。未希と小泉がゆっくりと近づいていく。
「小泉、おまえパパに怒られるのが嫌でボクシングをやめたんだってな。そんな情けないやつには負けるわけないよ」
未希が言い放った。
「あんたなんかに何が分かるっていうの」
小泉の右ストレート。だが、未希はこれをガードしていた。がら空きとなった小泉の顔面にパンチをぶち込む。小泉の体が後ろへ大きく仰け反る。さらに未希はフックを連続して入れこむ。
「全然分かんないね。でも、一つ言ってやる。お前はもうボクサーじゃないんだ!!」
未希の連打が一方的に決まり出した。右フック、左フック、右ストレート。小泉はもはやサンドバッグだった。未希のパンチが面白いように当たる。
その調子だ。聡美は拳に力を入れながら見続ける。
もう小泉は未希の前に手も足も出ない。所詮、ボクシングを捨てた人間だ。追いこまれて逆転しようとするガッツなんてないに違いない。未希の勝利が目前まで近づいてきている気がしてきた。
だが、唇の端を持ち上げ、不気味な笑みを浮かべた小泉の顔が目に入った。
どういうこと?
あるシーンが頭をよぎった。体育の時間未希が小泉のカウンターパンチをくらい顔を歪ませている姿。ゆっくりと地面に倒れ、ぴくりとせずにKOされたあの未希の姿。
何で今になって・・。
急に不安になってきた。まさか・・・
未希の右ストレートが決まり、小泉が後退していく。未希はそれを追いかける。
「未希!いっちゃダメ」
思わず大声を出していた。
ボクシングのことなんてまるで分からない。でも、とても嫌な予感がした。
未希はすでに小泉との距離を縮め、パンチの体勢に入っていた。そして右ストレートを放つ。
グワシャァッ!!
ボタッ!!ボタッ!!
「あ・ああ・・」
聡美が声を漏らした。そして、儚げな表情に変わった。
リング上では未希の右ストレートが空しく空を切り、逆に小泉の右ストレートがカウンターとなって未希の顔面に決まっていた。
聡美はすぐに目を背けた。長く見ることなんて耐えられなかった。自分の放ったパンチはかわされ、それどころか小泉の痛恨の一撃をもらってしまい顔面を醜く変形させられた未希の姿。それはあまりに痛々しかった。
ボトッ!!ボトッ!!
マウスピースが落ちたのだろうか。
バタンッ!!
大きな音。未希が倒れたんだろう。
その直後、レフェリーがカウントを取り出し、未希がダウンしていることは間違いないようだった。
「未希がんばれ〜!」
生徒からの声だった。それで聡美ははっとした。
何をあたしは逃げているんだろう。未希はまだ負けていないんだ。あたしが逃げてどうする。
リングに目をやった。
信じられないことに未希が立ちあがろうとしている。とてもじゃないがもはや女の子とはいえないくらい酷い顔になりながらもリングの上で懸命にあがいている。その姿を見て瞳から熱いものが込みあがってくるのを感じた。
「立って未希!」
聡美が大声を出した。それに答えるように未希が立ち上がる。
「立ちあがってきても無駄だわ。もうこれで終わりなんだから」
グワシャッ!!
小泉の右アッパーカットが未希の顎を抉る。
「ぶべぇっ」
未希の口から血が激しく上空へ噴き出された。それは火山の噴火のように激しかった。
「きゃぁ〜!!」
未希が吐き出した血反吐のあまりの多さに女子生徒から叫び声が上がった。
未希は後ろへよれよれと下がっていく。体が反転し、ロープに当たった。両腕をロープに絡ませてダウンをこらえる。未希はゆっくりと体を前に向けた。
小泉がその姿を見て、目を大きく見開いた。その場に立ち尽くして未希を呆然と見続きている。
ややあって小泉の表情が戻る。そして、口を開いた。
「やられてばっかいないで少しは攻めてきたらどうなの?」
「なんだと!」
右腕でロープを掴んでいることでなんとかリングの上に立っている未希は小泉を睨み、向って行った。
小泉はまたカウンターを狙っている。今度こそそのパンチで決着をつけようとしているんだ。
「未希行っちゃダメだ!」
今度こそ未希の耳に届いてくれることを願った。しかし、未希はダッシュを止めないで小泉の元に向っていく。そして、右ストレートを放った。それに小泉も右ストレートを合わせてくる。
未希の顔面に小泉のパンチが決まる。そう思った瞬間、未希は小泉のパンチに頭を横にずらし避けていた。
二人のパンチが空を切っている。小泉が目を大きく開いた。未希は腫れ上がり切った顔面にうっすらと笑みを作っている。
グワシャァッ!!
未希の右ストレートが小泉の顔面を打ち抜いた。凄まじい打撃音が生じ、小泉の顔面から血が撒き散った。小泉が後ろに崩れ落ちる。
カウントが進んでいく中、小泉は一向に動く気配を見せない。そして、奇跡のテンカウントが入った。
カーン!カーン!カーン!
未希の勝利を告げるゴングが鳴らされ、試合は終わった。聡美はリングの中に入り、未希の元に駆け寄った。
「未希、勝ちだよ。あたし信じられない」
「あたしも信じられないよ」
未希が振り返り、ボコボコに腫れあがり、別人のように変わり果てた顔を見せた。その顔には充実した笑顔が浮かんでいた。
こんなに腫れ上がった顔になっても、敗者の小泉よりも酷く醜い顔にさせられたのに、未希は勝ったんだ・・・。
心が震えていた。
何であたしはこんなに感動しているんだろう。
聡美の目から涙が落ちていく。
嬉しくて泣いたことなんて今まで一度も無かったのに。
涙が止まらないよ。嬉しくて涙が止まらない。
聡美は右手で涙を拭う。だけど、涙はまたすぐに零れ落ちていく。
聡美はベランダに出た。ポケットから煙草を取り出し、口にくわえる。
あの時、あたしは無力な自分が情けなく思えた。最後まで諦めなかった未希は試合に勝ち、満面の笑みを浮かべていた。あたしも嬉しかった。
だけど───
勝利を自らの手で手にした未希とずっと見守っていただけのあたしとでは喜びの質はまるで違うんだろう。
試合が終わって二週間が経とうとしている。あれから小泉のジムの男(名前は深見ということが後で分かった)が聡美のジムにやってきた。深見はわざわざ未希と聡美に感謝の気持ちを伝えるためにきた。深見の話によると小泉は未希に負けたことが悔しくてまたジムに通うようになり、打倒未希に向けて猛練習を積んでいる。そして、未希がプロのリングに上がる気なら私だってと言っているらしい。そのことを深見は嬉しそうに話していた。
その話を聞いて未希は「あんなに殴られちゃ勝った気しないよ。次は完全な勝利を掴むから覚悟しとけって小泉に伝えといて」と深見に言った。
実に未希らしい台詞に聡美は思わず笑ってしまった。
そのあと、聡美と未希は深見に小泉とは「どういう関係なんだ」と問い詰めたところ、顔を赤らめて、苦笑いし、結局教えてくれなかった。その姿を見て小泉にこの男はもったいないと聡美は改めて思ったが、彼女にもあたしたちには分からない可愛らしい一面を持っているのだろうと考えて納得することにした。
聡美は煙を吐いた。小泉は変わろうとしている。未希は自分のやっていることに誇りを持っている。
自分だけ何もしていないことに対する焦りはもちろんある。でも、だからといって選んだんじゃない。父が未だに没頭し、未希、小泉もはまってしまっているボクシングをあたしもやってみたいという気持ちが今は自分の中で大きく占めている。そう思うことにしよう。
長方形の形をした缶の蓋を空け、煙草の火を缶の底に押しつけ、蓋を締めた。
煙草を吸うのもこれで御終いだ。もう吸うことはないんだろう、きっと。
そろそろ未希も着く頃かな。
聡美は部屋を出て一階の練習場へと降りて行った。
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