第10話
打撃音が次々とリングの中央から弾かれていた。殴りあう2人の少女の肉体からは汗飛沫と血飛沫が飛び交う。
4Rが開始されるや否や繰り広げられることになった足を止めての打ち合いは、早くも1分を過ぎようとしていた。
3R終了間際、ダウン寸前だった小泉は、インターバルで息を吹き返し、パンチを果敢にパンチを打ちに出てくる。
気を緩めればたちまち打ち負けてしまいそうなほどの気力が、未希の体にも伝わってきた。
負けてたまるもんかと未希もパンチを打ち返す。
そうして過ぎていった60秒。
未希の体と精神力は今限界にまで達していた。
体中の感覚が麻痺しているようで自分ではない体を動かしているようなもどかしさ。それでいて、痛みの感覚だけはとても敏感に伝わるのだ。
自分から倒れれば楽になる。それで苦しみから解放される。
だけど、小泉にボクシングで負けるなんて、そんな屈辱味わいたくない。
小泉を倒さなきゃ・・・
小泉を倒せば苦しみから解放される。
しかし、目の前に対峙する小泉は、憎たらしい敵を倒したいといわんばかりにギラギラとした闘志を顔に表し、力強くパンチを打ち込んでくる。
とてもすぐには倒れてくれるとは思えなかった。もっともっとパンチを当てなきゃ。小泉が打つよりもっとパンチを打たなきゃ・・・
気合を入れ直す未希だが、手数で負けている状況は変わらなかった。パンチ力の差で自分以上のダメージを小泉に負わせていると思うしかない。
それからまた打ち合いは続き、状況の変化が起こった。
未希の瞳からは力強さが弱まっていた。精神力が尽きようとしている寸前である。殺気立った視線を小泉がぶつけているために、一際そう感じさせるものがあった。
気が狂いそうになるほどの痛み、息を吸うのもしんどい疲労。これほどの苦しみを今までに味わったことがあっただろうか・・・
辛い練習をこなしてきたからこそ耐えられているのだと未希は思った。
高校に入ってからの生活は、ボクシングのためだけにあるといってよかった。クラスメートの遊びの誘いも断り、放課後になると毎日ジムに通い続けた。
ボクシングのために他を全て犠牲にしていたといっていい。
強くなりたかったから。ボクシングで誰にも負けたくなかったから。
ボクシングを捨てた小泉に負けるわけにはいかないんだ。
この試合の負けに意味なんてあたしは見出せない。
勝ちたいんだ、勝ちたい、勝たせくれ。
神に祈るなんて馬鹿げたことだと思っていたのに、今は神頼みでもいいから小泉に勝ちたいと願っていた。神にも頼りたくなる心境があることを未希は痛感した。
しかし、皮肉にもこの直後、小泉の怒涛のラッシュが幕を開けることになるのだった。
小泉は未希の右フックをダッキングで下にもぐると、力強いアッパーカットが未希の顔面を打ち抜き、未希をグロッギーな状態に陥らせた。未希の目が宙を完全に泳いでしまっているのだ。
もう小泉のパンチは止まらない。これまで抵抗してきた対戦相手は、ブザマにもよだれを垂らし知性を失った顔面を目の前に晒している。小泉は耐えていた欲望を解放し未希の顔面をめった打ちした。
無抵抗な未希に打ち込んだ怒涛の10連打。
一撃目の右ショートアッパーが再び未希の顔面を突き上げる。
二撃目の左ストレートで未希の鼻を潰すと、三撃目の右ストレートで未希の顔面から鼻血を再び噴出させた。小泉は非情にもストレートを速射砲のごとく次から次へと鼻めがけてぶち込み、未希の顔面から血飛沫を噴かせ続けた。
9連打目となるパンチ、左アッパーカットが顎を打ち抜き、未希の口から壮絶な血の量と共にマウスピースを高々と舞い上がらせると、未希の体からは力が抜け落ち、両腕をだらりと垂らしながら前へ沈み落ちた。
失神したかのような未希の倒れ方である。
しかし、小泉はこれで攻撃を終わりにしなかった。まだ、破壊していない部分が残っている。
マウスピースが吐き出されむき、出しになった未希の歯である。
“鏡で顔を見る度に私にKOされた屈辱を思い出すのよ“
小泉のサディスティックな思いに満ち溢れた痛恨の一撃が未希の顔面にぶち込まれた。右のアッパーカットがめり込むと未希の顔面からは壊される音が響き起こった。
グワシャアァッ!!
「ぶへぇぇっ!!」
未希の口からは痛々しげな悲鳴が上がり、そして、数本の歯が宙へ吹き飛んでいた。小泉の思い描くシナリオの完成である。
未希の体は独楽のように周り、両腕が上がりバンザイの格好にさせられたブザマな姿を皆の前に晒してキャンバスに沈んだ。未希の体はちょうど一回転してキャンバスにうつ伏せとなって這いつくばっていた。
キャンバスに当たったままなために、頬の肉が口元に寄せられ未希の唇の形は歪み続けていた。
片目は閉じられもう残された右目は、何も捕らえてない。体は小刻みにぷるぷると震え、壊れてしまったかのようなうえぇっと声が漏れる。
それは完膚なきまでに打ちのめされたボクサーの姿だった。
その姿を真上から見下ろす視線があった。未希をキャンバスに這わせた小泉裕子である。
両腕を下にだらりと伸ばしてうつ伏せで倒れている未希の姿が降伏をしているように小泉の目には映った。顔面は醜悪なまでに破壊した。腫れ上がった瞼は瞳をほとんど塞ぎ、膨れ上がった頬は未希の輪郭をでこぼこにさせた。なにより気に入ったのが蜂に刺されたかのように真っ赤に膨らんだ未希の鼻であった。ピエロの鼻のようであり、今の未希はピエロそのものである。おそらくは、顔は3週間もすれば元に戻るだろうが、鼻の骨は折れているかもしれない。そして、キャンバスに落ちている未希の歯を2本確認すると、小泉は、子憎たらしい笑みを浮かべて満足げにコーナーへと戻った。
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