第3話

 

バンテージを巻き終えて準備は出来た。さてとなにから始めようかと未希は当たりを見渡した。

 この時間帯ジムの中はまだ人がまばらである。遠慮せずに場所を取れて良いなと未希は思った。時計の時刻はまだ4時10分を指したばかりだ。

 未希は、普段学校が終わった後、一旦家に帰りそこからジムに移動するので、ジムに着くのはだいたい5時になる。

 今日は学校が終わり直にジムに行ったためにいつもより早い時間にジムに着いた。少しでも多く練習したいという思いがあったからだ。

 まずは、シャドーボクシングから始め体をならすことにした。物を叩くわけでもなく力を入れる必要もない。

 男子ボクシングの試合時間3分を1セットに4セット行うことにした。4R分、女子で計算するなら6R分。そう考えると相当な量に思えてくる。

 始めてから2セットを消化した頃、未希は見られていることに気づいた。目線は千石からのものであった。千石は椅子に座り、じっと未希のシャドーボクシングを眺めている。

 気になってしかたなかった。

 シャドーを3セット終わらすしたところで未希は千石の元へ向かった。

 「さっきから人の練習見てるようだけど、あんた覗きの趣味でもあるのか」

 千石が顔を紅潮させた。

 「のっ覗きっ。すぐに変質者扱いするなよっ」

 「そう思われたくないなら人のやってることじっと見ないことだね」

 「未希が試合に勝てる方法を考えてたんだ」

 「いつからコーチになったんだよ。先週言ったこと忘れたのか?断るって。それにあんたが口挟まなくてもあたしは勝てる」

 「じゃあさっスパーリングしないか?」

 「何であたしがあんたとしなきゃいけないんだ。あんたの実力はあたしだって分かってる。あたしの気分が悪くなるだけだよ」

 「いいじゃんかっ。今のうちに恥じかけよ。学園祭で大恥かくよりましだろ」

 「なんで・・そこまで知って・・」

「聡美が話したのか。聡美のやつ口が軽いんだから・・ちょっと待って大恥ってあたしが負けるっていうのか」

 「一度負けてるんだから、そう考えるのが妥当ってもんだって」

 「あたしが倒されたのは偶然だ」

 「偶然で片付けてちゃ進歩がないなぁ。備え次第で対処できる偶然だってあるんだぜ」

 千石の言葉には無視できないものがあった。

 小泉があたしを倒したのはラッキーパンチだと未希は片付けていた。

ただ、ラッキーパンチで片付けられないなにかを感じるから練習に力を入れている自分がいるのも事実だ。

 千石の気になる物言い・・。

 ずるい奴だ。

 断ることなんて出来ないじゃないか。

 「分かったよ。スパーリングすればいいんだろ」

 「せっかくだ。賭けをしようぜっ」

 「なんだよ」

 未希は用心深い声を出した。

 「未希が一発でもパンチ当てたらなんでも言うこと聞くよ。その代わり一発も当てられなかったらあっち向いてホイやろうぜっ。あっち向いてホイで負けた方がジュースを買いに行くんだ」

 賭けの提案に身構えた未希だったが子供っぽいおねだりのようで拍子抜けした。断る気力も失せてしまった。

 「いいよ別に。さっさと始めよう」

 未希はグローブをはめてヘッドギアを装着しリングへと上がった。続いて千石もリングに上がる。

 「いつでもいいぞぉ」

 軽い口調で合図を出し軽く距離を取る千石に対し未希も無理に近づくことはせず様子を見た。千石は攻める気配を見せない。お見合いのままスパーリングは20秒近く経った。

 「見てちゃ当てらんないなぁ」

 のほほんと千石は言う。

 癪に触る物言いだが、千石の言うとおりだ。この賭け、千石はパンチをもらわなければ勝ちになる。つまりは、攻める必要はないということだ。むしろ攻めた方がパンチをもらう危険性は遥かに高くなる。

 千石の出方が分かった以上後は自分のボクシングをするだけだ。

 未希はジャブを打って出た。そこから接近戦に持ち込みフックで圧力をかけるつもりだ。

 ジャブを1発、2発、3発。

 千石は闘牛士のように四方へのステップを使い分け巧みにパンチを避ける。当てることはおろかガードさえさせられない。

 ジャブじゃ拉致があかない。そう判断した未希は、不恰好ながらも無理やり距離を詰めてフックを放つ。それも、身を後ろに仰け反らせてのスウェイや身を屈めてのダッキングで難なくかわされる。

 まるで幻影と闘っているかのような気分になっていく。

 大きく後ろにステップをされ距離を開けられた。

また距離を詰めなきゃと思い、前へステップを踏んだところに未希は頭を後ろへ吹き飛ばされた。

千石の左ジャブがまったく見えなかった。

いつのまにか当たっていたという表現が正しい。いつのまにか放たれていていつのまにかパンチをもらっている。

 体を左右に揺らしても千石のジャブが未希の顔面にヒットする。

 なんで千石のパンチが必ず当たるんだ!

 千石の思うがままの展開に未希は苛立っていた。

 実力さがあるのは当然としても一発もパンチを当てれないし、パンチを避けることさえ出来ない。

 スパー終了時、リングの上には未希の茫然自失とした姿があった。

 「なんで当たんないんだよ!」

 その場に座り込んだまま苛立つように大きな独り言を未希は発した。

 千石が未希の元へ近寄る。

 「さてっと、次は、あっち向いてほいなっ」

子供の遊びに付き合う余裕などなかったが、約束してしまったのだからと面倒臭そうに未希は立ち上がった。

 「10本勝負な。あと、最初はグーも忘れずに」

 反論するのも億劫に感じた。

 「最初はグー」

 千石の掛け声に馬鹿らしさを感じながらも未希は作業を進めた。一本目は千石の勝利だった。二本目の千石・・三本目も千石・・・。

 5本目が終わったとき、未希は明らかに不自然さを感じた。5本とも千石が勝っているからだ。

 なにかイカサマが仕組まれているのではないかという疑いが生じた。

 その思いは勝負が進むごとに増すが、どこらへんがおかしいのかは検討もつかないために勝負を止めることはできなかった。

 10本目も負けて10本オール未希の負けが決定した。それと同時に未希は言った。

「八百長だよ」

 「八百長?どこらへんが?」

 「それは分からないけど、10本とも千石が勝つなんておかしいだろ」

 「何も仕込んでなんかないって。あっち向いてホイには勝つコツがあってそれ実行できる力が俺にあるだけだって」

 得意げな調子で千石は喋る。

 「コツってなんだよ」

 「相手の動きだなぁ。目や頭の動きを見て瞬時にどちらに動くか読むだけで勝てるもんなんだよ」

 言われてみればもっともなことだと思った。理論的にはそれで勝てる。しかし、実際にそれで勝つのは容易じゃないことも分かる。人並みはずれた運動神経の持ち主でなければ出来ないことだ。

 「要は慣れ。それってボクシングにも言えるぜ。パンチは軌道を見て避けるもんじゃない。目、肩の動きから打たれる前にすでに予測するもんなんだ。未希のパンチは力任せで上半身に頼りすぎているから、読みやすいんだよ」

 未希はまじまじと千石の顔を見ていた。なんだか千石が別人のように思えてきた。馬鹿な高校生から知的なボクサーに。

 「無駄な動きが多い分、ラッキーパンチも当たりやすくなる。だから偶発的な事故は未希の方にも原因があるってことなんだよ」

 言い終えた千石は得意げに少しばかし顎を上げていた。

驚くことばかり聞かされたなぁというのが未希の感じた話の印象である。驚くことばかりで整理が難しい。

 「千石って・・・」

 千石が未希に視線を向ける。どうぞ何でも言ってといわんばかりの表情だ。

 「馬鹿じゃないんだな」

 千石があんぐりと口を開けた。

 「ばっ馬鹿扱いだったのかぁ・・」

 「少し見直した」

「少しか・・。まあいいや」

 千石は拗ね気味に右の頬を舌で突く。

「千石、小泉に勝つにはこれから何をするのか教えてくれ」

「おっ、いいね。まずはパンチの打ち方を変えることだな。今の打ち方じゃ上半身に頼りすぎていてリスク大きすぎる。下半身でパンチを打つように意識をしたほうがいいなぁ」

「たしかに力に頼りすぎてたかもしれない」

 「走り込みをして下半身の徹底強化が一番だ。今の倍は走った方がいいぞ」

 「倍か・・。なんだからえらく地味な特訓だね」

 未希は苦笑いを作った。

 「その“えらく”って付くとっ何かを起こす予感を感じさせるんだっ。“えらく”地味な特訓。ある意味スペシャルな練習に聞こえるってもんだ」

 「たしかにそうだ」

 未希は再度苦笑した。

 「あっと大事なこと忘れてた。あとは、あっちを向いてほい。学校で暇なときは聡美とこれやっといてくれ。相手の仕草が読めてくるんだ」

 「なんだ、千石はボクシングのためにやってたのか」

「だから馬鹿じゃないんだってば」

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