第4話

 

乾いた空気の中、10本目の50メートルダッシュを走り終えると、芝の上に未希は仰向けに倒れ込んだ。

暗くなり始め、短くなった夕方が終わろうとしていた。

人もいなくなり、暫く寝そべっていたいなと未希は思った。

そこへ聡美が未希の顔を覗きこんだ。                                              

「はい。スポーツドリンク」

「サンキュっ」

 減量の心配などないわけで、躊躇せず口元にジュースを含めた。むしろ、体重が多い方が有利なくらいだ。

 喉の渇きがいえると未希は上体を起こした。横には聡美が座っている。

「ありがたいことだけど、聡美は練習に付き合わなくていいって言ってるのに」

「関係なくないじゃん。あたしが原因なんだから」

「遅かれ早かれ小泉とはケリをつける時が来てたと思うんだ」

「ねえ・・千石君のコーチどうだった?」

「あいつ・・頭良いんだな」

「素人目には、前よりも練習が地味に見えるんだけど」

「玄人目にも地味に見えてると思う。走ってばっかだからね」

「ん〜・・」

なにか言いたそうに聡美は口を尖らせていた。おそらくは、千石君の指導で大丈夫なのかなって言いたいのだろう。しかし、それは、試合を目前にしているボクサーの前では言ってはいけないことだと分かっているから口の中で留めているのにちがいない。

「それにあっち向いてほい」

未希は苦笑した。

「相手になってもらって聡美には悪いことしたね」

「いや、あっち向いてほいが強いと勝てるってのもねぇ」

聡美もぎこちない笑みを見せた。

聡美も苦笑せずにはいられなかったようだ。

 「結局、最後らへんで勝率が6割くらいだったか。まあ気休め程度に強くなった」

 何してるんだろうねと言いたげに未希の口調もなっていた。

 走り込みを続けて、パンチの打ち方を変えた。とはいっても、そんな簡単にパンチの打ち方を変えられるものではない。素人目には違いも分からないだろうし、未希だってたいした進歩をしてないことは分かっていた。

 3週間しかなかったんだ。上出来といっていいだろう。それに小泉がどういった闘い方をするのかも分からないのではたいした対策も立てられない。相手が素人なら偶発的なことが一番怖い。偶発的なことを未然に防げるようにどんな展開でも対処できるように自分自身を鍛えぬくしかない。

 やるべきことはやったのだろう。

 未希は自身を納得させた。

「そういえば、千石君セコンドに付いてくれるんだってね」

 「当然のように付く気でいるみたいだ。うちは女子高だから男を中に入れるのも大変だってのに」

「ありがたいことじゃないの」

「そうなるかな・・」

「ねえ・・なんで未希は、ボクシングしてるの?」

「理由ね・・」

未希は照れ臭くなり笑った。

 「強くなりたいんだ」

 「うん・・前に聞いたことがある」

 聡美の物言いにはそこから先を知りたいというニュアンスが含まれていた。聡美には話をしても良いかなと思った。練習にも付き合ってくれた御礼も含めて。

 「うちさっ・・両親が離婚してるんだ。中学1年の時にね。まぁ前々からうちの親父はほとんど家に帰ってこなかったし、女のところにいるってことは分かってたから、離婚の日が来てもせいせいした気持ちの方が強かったんだけどね」

 照れ臭さのあまり未希は鼻の下を人差し指でこすった。

気を取り直して・・・。

 「でもまあ、母親の方は、結構ショックでね。立ち直るまでに時間がかかった。その姿を見ててね、女も強くなくちゃいけないって思ったんだ。男にも頼らなくてもいきていけるくらい。それで、ボクシングを始めるのもなにか違うような気もするけど、ただ、あたしは、とにかく、心も体も男にも負けないくらい強くなりたいんだ」

 言い終えて、未希は自分が男嫌いになってるのも他に女を作った父親に原因があることを改めて認識した。

 強い女性でありたい。

 そう切望するからこそ、単純な発想だけれどもボクシングを始めた。

 口だけじゃ駄目なんだ。力もないと強い気持ちはいつも保ってはいられない。

 強くなったという実感を得るために未希はプロボクサーになることを決意していた。今はそのための厳しいトレーニングをこなしている。遊びという誘惑を絶って毎日辛い練習をこなしている。

 強くなるための努力を最大限しているつもりだ。その努力が築き上げた強くなっている実感を小泉は粉々に打ち砕いた。

 壊れた自信を治すには小泉をボクシングで倒すしかない。もし、また小泉に負けたらボクシングをやっていく気持ちは揺らぐかもしれない。

 強くなれない失望感に打ちひしがれて。

 聡美は未希のボクシングへの思いを聞いてから黙ってしまっていた。

 女子高生が話すには重い内容だと未希は思い、自身も話しづらい雰囲気になってると自覚した。

 「勝つよ小泉には。あんななんちゃってお嬢様に負けるもんかってんだ」

 「なんちゃってお嬢様なんだ」

 聡美が可笑しそうに笑う。

 「だって中途半端にブルジョアきどってるだろ。喋り方も仕草も中途半端に上品ぶってる。どれも中途半端なんだ。そんな奴には負けない。なぁ聡美」

 聡美からの返事はなかった。振り向くと、聡美の表情はどこかぎこちない気がした。

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