第5話

 

 控え室として用意された教室で未希は待機していた。部屋には、他にセコンドとして付く聡美と千石がいる。

 未希は千石にボクシンググローブをはめてもらっていた。試合ということで、念入りにテーピングしてくれている。

 聡美は、所帯なさげに立っているようにも見えた。ボクシングを知らないのだから中途半端に何かやるのも迷惑をかけると聡美は判断しているのか先ほどから特に何もしていない。しかし、聡美がセコンドに付いてくれるだけで、未希は十分に嬉しかった。

 未希は赤いスポーツブラに赤いトランクスを着ており、プロそのものの格好をしている。これは、運営役からの要請でコスチュームに制限がかけられていたのだった。上は、スポーツブラ、下は、トランクスかスパッツでなければならない。つまりは、プロっぽい格好しなさいということだった。未希は呆れながらもコスチュームを用意してきた。

 「注意することは覚えてるか?」

千石がテープを巻きながら聞いてきた。

 「いきなり突っかかっていくな。相手の奇襲に備えておけ。パンチはコンパクトにだっけ」

 「そうそう」

 「なんだか、作戦って言うほどのもんでもないなぁ。他には何かないの」

 「特別な作戦なんてそうそう立てられるもんじゃないって。漫画じゃないんだから」

 千石の物言いに未希は少しむっときた。

 漫画じゃないってあんたに言われたかない。

 「勝負事は俺に任せろって散々言ってたじゃないか」

 声を大きめにして言った。                                                                           

「相手のデータがないんだ。仕方ないじゃんかっ。未希が倒された時のビデオがあればもっとましな作戦とれたけどさぁ」

千石も苛立つように声を大きくしている。

 「テンション下がること言うもんじゃないよ。それでも、セコンドか」

 不貞腐れたように言い放った。

 「はい、そこまで2人とも」

 聡美が止めに入った。

 「大事な試合がこれからあるんだからさ」

 ごもっともだ。

 虫の居所は収まらないが、怒りは小泉にぶつけることにした。

 係りの生徒がやってきて入場の番だと告げられた。

 未希は立ち上がり、先頭に立って教室を出た。

廊下を歩き、入り口の前に付くとそこで待機させられた。やがて、音楽が入り口の扉の向こう側から聞こえてきた。

 馴染みのある曲だった。

「この曲って・・ 」

未希は怪訝そうに独り言を漏らした。

「あたしが運営役の人に入場曲何にするって聞かれたから伝えといたんだ」

「悪くない」 

 そう言うと未希の前で扉が開けられた。

 体育館の真ん中にリングが設置されていた。そして、その周りには大勢の生徒が観客として椅子に座っている。その数は、ゆうに200を超えているようだった。

 未希は鼓動が荒ぶるのを感じると同時に呆れる気持ちもあった。

 お嬢様方は、野蛮なものを観るのが好きだことで・・・

 リングに周りに陣取る200名以上の女子高生。それは、どこか異様な空間のようにも思える。

 未希がリングに上がると、曲が止まり、すぐさま違う曲に移った。

 扉が開けられ、小泉が姿を現すと、小泉への声援が飛び交った。それで自分が入場している時にはほとんど声援がなかったことに未希は気づいた。

 小泉は内部組のスター。対して、未希は外部組という一段下の階層に位置すると生徒の多くは観ているわけである。

 この場は、未希にとってアウェイだった。

未希の中で苛立ちがみるみるうちに募る。

 入場が終わると、未希の名前がコールされる。

「青コーナー158センチ52キロ〜!!相坂未希〜!!」

どうやら、アナウンス部が担当をしているらしい。リングの近くには、長机が設置され、実況者らしき女子高生が2人座っており、そこからリングコールが聞こえてきた。

 未希は右腕を上げるが、観客席からの反応は特にはなかった。続いて小泉の名前がコールされる。

 「赤コーナー162センチ53キロ〜!!小泉祐子〜!!」

小泉が右腕を上げるとそれに応えるように歓声が飛び交った。

小泉人気は尋常ではなかった。この学園ではスポーツが出来る者は、憧れの目で生徒達から見られる話は本当のようだ。

そして、中等部組の星対高等部組の星の対決という図式で観られているせいでもある。

この試合で小泉が勝つことで中等部組が特別である序列を改めて見せ付ける必要があると中等部組の生徒達は思っているのではないか。

そんな考えを未希は持った。

 声援が鳴り止むとレフェリーを務める辻先生が2人を中央へと呼んだ。

 ルールの確認である。もちろん、未希も小泉も聞いてるはずがなく、お互いが睨み合った。

 「今日は1発で伸びないでよね。せっかく全校生徒の前でボコボコにできるチャンスなんだから」

 「良い趣味してるね。残念だけど、全校生徒のせいでボコボコにされるのは小泉お前の方だ」

 「あなたこそ、全校生徒の前で恥じかけばいいのよ。サンドバッグにしてあげるから」

 「壊れたラジオは叩いて直すもんだ。あんたの歪んだ性格も殴れば少しはましになるかね」

 「威勢だけはいいわね。3週間前にあたしにKOされたのもう忘れたの?」

 「ラッキーパンチで粋がるな」

 小泉がくすっと笑った。

 「何がおかしいんだ」

 「すぐに分かるわよ」

 そう言い残して小泉は背を向け赤コーナーへ戻った。

 言い負かされた感を持ちながら未希もコーナーへと戻る。

 コーナーに付くと背を向けて振り返った。すでに小泉も両肘をロープに乗せて待機していた。

 負けられない。

 殴り倒したい。

 2つの思いが未希の中で急速に膨らんでいく。待っている時間が嫌だった。早くゴングを鳴らして欲しい。体を動かしたい。

 時間の流れに息苦しさを感じていると、千石から無言でマウスピースを見せられて右手の上に置かれた。

 千石の態度に未希は不満を感じた。

 声かければいいのに、まだ不貞腐れてるのか・・

 いよいよゴングが打ち鳴らされた。それと同時に小泉がダッシュして向かってきた。千石の予測していた一つのパターンである。事前に言われていたこともあって未希はやってやろうじゃないかという気持ちで迎え撃つ体勢を作った。2人の距離はあっという間に縮まり、接近戦の距離になった。

 先に手を出したのは小泉の方である。ガードを上げていた未希はパンチを防ぐとすかさずフックを返した。小泉は素早い動きでパンチの下をもぐってかわす。

 ガードの上ならともかくかわされるとは思っていなかった未希は少し気になるものを感じたもののそのまま続けてフックを打った。

2発続けた左右のフックはどちらも空を切る。未希はなおもフックを打った。またもパンチは小泉を捉えることができない。フックをダッキングでパンチの下をかいくぐるというボクシングのディフェンスの模範のような動きを見せている。

ならばと未希は右のアッパーカットを打った。ダッキングで顔の位置が下がっているところであり、これは当たると確信を持って放ったパンチ。ちりばめられたフックからの罠として未希が磨き上げてきたお得意のコンビネーションである。

しかし、小泉は今度は上半身を仰け反らせるスウェイバックでパンチを見事に避ける。

それは未希にとって信じがたいシーンだった。

自分の中で一、二を争う自慢のテクニックに対してさらに上のテクニックを見せられたのだ。

 地味なようでいてスウェイバックをボクシングの高等テクニックの一つである。実際未希には出来ないテクニックなのだ。 

 スウェイバックで2人の距離が多少離れた。

 小泉が見せたボクシングテクニックを否定しなければという思いが、未希に無用心に足を前に進ませた。

 その瞬間、未希の鼻に衝撃が走る。

 痛みで片目を閉じ、もう片方の瞳から映るのは左の拳でパンチを打ち終えた後の小泉の姿だった。

 パンチを先に当てた勝ち誇った笑みがそこにはある。

 小泉は生意気にも上体を小刻みに揺らす。

 ―――――フェイントのつもりなのか?

 2度乾いたパンチの音がリング上で生じた。小泉の左右のパンチが未希の顔面を弾いたのだ。

 綺麗な軌道で直進して向かっていたストレート2発だった。鮮やかなコンビネーションパンチ。

 本来、未希がやらなければならないことである。

 小泉の突き刺すような左右のストレートがさらに未希の顔面にめり込む。

 勢いづいた小泉のパンチは止まらなくなる。上体を左右に揺らし、リズムの緩急をつけて左右のストレートを未希の顔面に打ち込む。

 恐るべきは、その正確さだった。

百発百中で小泉のパンチは未希の顔面を捉える。

さらに恐ろしいのが、小泉のパンチはどれも未希の鼻を狙っていたことだった。ピンポイントで鼻を潰し続けており、未希の鼻は蜂に刺されたかのごとく、真っ赤に変色していった。

 鼻へのパンチは、痛みはあるが、体がふらついてくるような質のものではない。むしろ、鼻を打たれることで集中力を欠いていくことの方が深刻であった。

鼻にパンチを受けるたびに鼻の感覚が無くなっていく。五感の一つを担っている大事な器官である鼻の感覚が麻痺することは、人間の感覚そのものに多大な影響を与える。

実際、未希の鼻の感覚は執拗なまでの小泉のパンチですでに麻痺を起こしており、常に付きまとう鼻への痛みで集中力を失っていた。じんと絡みつく鼻の痛みは、涙を引き起こさせ、さらには胸の中で心臓を圧迫させるようなむかつきを蓄積させる。

集中力の欠如と同時に未希の中で募る苛立ちも相当なものであった。

 それは、顔に表れ、未希は頬を歪め歯を噛み締める場面が増えていた。未希の中にある苛立ちを知った上でそれを助長させるかのように小泉はいやらしく未希の鼻を突いた。未希の健康的な肌色の中で鼻だけが真っ赤に腫れ上がっていく。

 そして、ついには未希の鼻が破壊された。

 ぶしゅうぅっと鼻血が噴き流れる。2つの穴から流れ落ちる血の量は相当なものであり、鼻の下から唇を辿り顎先まで真っ赤に染め上がらせる。

 未希は呆然と立ち尽くしていた。その姿を見てにやりを笑みを向ける。そして、未希の鼻にまたストレートを突き刺すのだった。何度も繰り返し突き刺し、未希の鼻血を悪化させていく。

 顔面に返り血が付こうが小泉は未希への鼻攻めを止めることはなかった。小泉を止めたのは1R終了のゴングである。

 鼻血のせいで呼吸の乱れが激しい未希に向かって小泉は余裕たっぷりに言い放った。

 「全校生徒の前でボコボコにされているのはやっぱり、あなたの方ね。次はサンドバッグにしてあげるから」

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