第7話
未希はカウント8で立ち上がる。
「どこまでタフなの・・」
呆れるように小泉が言った。
顔から精気の失せた未希は、視線がどこか遠くを見ているようであった。
未希は、顔中が腫れていたが、左の頬よりも右の頬の方が腫れが大きい。カウンターパンチが未希の左頬の腫れを一層膨れ上がらせたのだろう。
小泉が先にパンチを出すと、未希は劣勢に回った。小泉のラッシュの前にパンチを出すことが出来なかった。
もう1発カウンターパンチをもらえば、もう立つことはできない。その警戒心が未希の体を支配していた。
勇気を持ってパンチを出したが、先ほどまでの思い切りの良さが消えていた。
このままだと小泉の思う壺だと分かっていながらも自分の意思と裏腹に萎縮する体に、未希の中で焦燥が募るばかりだった。
顔に意識がいったところに打ち込まれたボディブローが未希の顔を硬直させた。みるみるうちに顔が歪み、力が抜け落ちたようにだらしなく口からよだれが垂れ落ちた。
きっ・効いた・・・・
膝ががくがく笑っている。
離れなければと思い、言うことを利きづらくなっている両足をなんとか後ろに下げたが、小泉との距離が離れないままなのに未希は愕然とした。
小泉が左腕を未希の右腕に絡ませていたのだ。小泉が冷酷な笑みを浮かべると未希の口から大量の唾液が吐き出た。
「ぶおぉぉっ!!」
「まだまだよ」
「ぶおぉぉっ!!」
唾液だけでおさまらず、目からは涙が溢れていた。
拷問の様なボディブロー地獄が終わりなく繰り返された。
「止めてよ裕子さん!」
少年の大声だった。館内にいる全員が、小泉と未希までもがその少年に視線を向けた。
くりくりとしたでかい瞳からは、その少年が高校生に、いや、中学生であってもおかしくなく伺えた。
「会長がっ・・お父さんが教えたボクシングを忘れたの?酷いよ、こんなのボクシングじゃないよ」
「何しにきたのよ。人の試合勝手に見に来てムカつくわ。早く出てってよ」
小泉が不快感を露にする。
「もう終わりにしようよ。こんな試合意味ないじゃないか。裕子さんだって後できっと後悔するし、お父さんだって悲しむ」
少年の言葉に反発するかのように、小泉は未希のお腹にパンチをぶち込んだ。
「なんてことするんだ」
「煩いわね!先生、鐘姫学園は、部外者の男性の入門を禁止しているはずですよね。早く連れて行ってください!」
小泉の言葉に動いたのは、他の先生方だった。小泉の言葉で部外者禁制を思い出したように行動を取っていた。小泉を知る少年は、二人がかりで強制的に連れ去れようとしている。
「待ってください・・」
先生に声をかけたのは聡美だった。
「その人部外者じゃありません。千石君の友達なんです」
「パパに反発してる」
未希が発した言葉に小泉がすぐさま睨みつけてきた。
「なんだ図星か。さっきの男の口からやたらお父さんだもんな。親離れできないなんて恥ずかしいね」
左腕のロックが甘くなっていることに気づき、未希は両腕で小泉の体を突き放した。
「煩いわよあんたも」
小泉が左のジャブを打ちに出た。未希は体を傾けて避ける。パンチの空振りでさらに気を悪くした小泉が左のジャブを連続して放つが、未希はなんなくかわした。
小泉のパンチが怒りのあまりモーションがばらばらになっていた。小泉の崩れたボクシングを見て、力任せなパンチは美しくないもんだと未希は気づくことができた。
パンチの空振りの隙に未希が反撃の右ストレートを小泉の顔面に当てた。パンチがヒットした瞬間、未希の中で思わず大声を出したくなる激情が走った。
会心の一撃だと言って良いほどパンチが綺麗に打てた。無駄なくスムーズにパンチを出せたのだ。
これが、もしかして、千石の言っていたノーモーションのパンチなのか。
推測はやがて確信へと変わる。
未希が放つパンチがことごとく小泉の顔面に当たっていくのであった。
いけるという思いが未希の中で起こり、ラッシュをかけた。
試合の序盤とはまったく逆の状況になり、未希が一方的に小泉を攻め立てた。小泉がロープを背負い、サンドバッグとなる。
パンチを当てるたびに小泉の体がロープにめり込み、体が徐々に丸まっていく。あと少しで倒れる。そう確信しながらパンチを打ち続けた。
しぶといけど、あと少し。あと少しなんだ・・
体を丸め両腕で顔面を守るためにクリーンヒットさせ辛くなっていると判断し、咄嗟の機転で未希はボディにパンチをめり込ませた。
予測できてなかった小泉は、頬を脹らませた。
「ぶうぇぇっ!」
導管が破裂したかのように小泉の口から唾液が放射状に噴き散った。
小泉の両腕がだらりと下がり、四股は弱々しく内股になっている。
ついにグロッギーとなった小泉。
しかし、ここでラウンド終了のゴングが鳴り響いた。
未希は右腕に力を入れたまましばし、小泉を見つめた。
右腕をロープに絡ませ、小泉は睨みつけている。
せっかくのチャンスだというのにこのまま下がらなきゃならないなんて・・
未希は右腕を下げて身を翻した。
コーナーに戻るとそこには一人意外な人物が立っていた。先ほど教師達に連行され追い出されそうだった小泉の知り合い。
未希はじっとその男を見ていた。説明を待っているのだ。
聡美が口を開く。
「深見君っていうんだけど、いろいろと聞きたいことあったから呼び止めた。というより、千石君の指示でやったことなんだけどね。彼、小泉の父親が運営してるボクシングジムに通ってるんだって」
「えっ・・」
「小泉もボクシングジムの娘なんだって」
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