BOXER MATE

 見舞いに来てくれた友達を美優はベッドの上から笑顔で見送った。皆が病室を出ると、美優は表情を戻した。にやぎやかだった美優のベッドは急に静かになり、少し空虚なものを感じてしまう。
気を紛らわすためにTVをつけた。チャンネルを回すと8チャンネルで東京ラブストーリーが再放送されていた。何度目?と思いつつもチャンネルをそのままにした。
 でも、TV画面には集中することはできない。
 目に浮かび上がってくるのはパンチを終わりなく打ち続けてくるそのみの姿だった。
 パンチの雨に前に自分は何も抵抗ができずに浴び続けるしかなかった。
 美優は唇を噛み締めた。
 肩がぷるぷると震えだし、涙が頬を伝い落ちベッドを濡らした。
 右腕で涙を拭う。それでも涙は止まらないのでそのまま右腕を目に当てておくことにした。
 やがて涙も治まると心が少しだけ晴れやかになれた。
 冷静に闘っていれば負ける相手じゃなかったのに・・・。いや、止めとこう。体だけじゃなくて心の強さもボクサーには必要なんだ。まだまだ未熟だな、私は。
 ふうっと息を漏らす。
 病室のドアが開き、女の子が一人、中に入ってきた。それはそのみだった。
美優が目を大きく見開いた。
 慌てふためいた。
 どういう行動を取ればいいのか分からなかった。
憎しみや恨みなんて感情は湧いてこない。そんな余裕は持ちあわせてなかったのだ。ORそんな余裕はなかったのかもしれない。
そのみは重い表情をしながら、こちらにやってくる。美優のベッドの横で立ち止まると、深々と頭を下げ「ごめんなさい」と言った。
 美優はあっけにとられそのみの頭を見つめていた。
怒りなんていらないんだよね・・・・ボクシングなんだもん。
 美優はくすっと笑った。
 「いいって、いいって。そんな申し訳なさそうな顔しないでよ。それより座ってよ」
 そのみは顔を上げた。ホッとした表情に変わっていて美優も安心した。
 そのみが椅子に座り、顔を見ると美優はそのみの顎に湿布が貼られていることに気が付いた。美優の視線に気付いたそのみは「あっ、これね。1Rにもらった高橋さんのアッパーが効いちゃって。実はあのアッパーでかなりのダメージきてたんだ」と言った。
 「手応えがありすぎて逆に焦っちゃったみたい」
 美優は舌を出した。
 「それより高橋さんは体の方大丈夫なの?」
 そのみは心配そうに聞いてきた。
 「全然平気。明日にも退院できるって」
 「良かった」
 そのみは改めてホッとした表情を見せた。
 美優は頬を緩ませてそのみの顔を見た。
 ──────ボクシングだけじゃなくて全ての面で完敗しちゃった。今日からが私の再出発だ。そして、いつかまたそのみと・・・
 「どうしたの高橋さん?」
 そのみが不思議そうに尋ねてきた。
 「あっううん、なんでもない」
 美優は首を振り、頭をさすった。


 その後、美優はそのみとボクシングの話の他、普段の生活の何気ない会話などをして、すっかりうち解けた。あっという間に一時間が過ぎて、そのみが帰ることになった。そのとき、美優はそのみに言った。
 「今度は負けないからね」

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 「今までのところは互角だ。いいか、下がるなよ。下がった方が負けだぞ」
 会長の檄に美優は息を整えることに務めながら、声に出して頷いた。会長がマウスピースを美優の口に入れ、美優は椅子から立ち上がった。
 カーン
 ゴングが鳴り第5Rが開始された。美優はダッシュして前へ向かって行き、そのみも勢いよくこちらに向かって来た。美優とそのみは足を止めて打ち合う。

 美優の右ストレートがヒットし、そのみが左フックで反撃する。1Rから繰り広げられてきた打撃戦。技術よりも精神力の勝負だった。会長の言葉が浮かび上がってくる。
 "下がったら負け"
 美優はすかさずパンチを返す。負けないぞ、私は。絶対に負けるもんか。
 そのみとの再戦は前回の試合から一年と半年が経過して、組まれたカードだった。あれからそのみは五連勝し、日本タイトルを獲得、現在二度の防衛に成功している。一方、美優も六連勝し、ランキング三位にまで上った。そして、今、美優とそのみは日本タイトルの座をかけて、死闘を繰り広げている。
 美優のワン、ツーがそのみの顔面を捕らえた。続けて、美優はそのみの脇腹に左のフックを放った。  これはアームブロックで防がれていた。お返しにそのみが左フックを美優の顔面に見舞わせた。
 打ち疲れて、美優とそのみの手が休まった。二人とも相手を見つめたまま、呼吸を整えようとしている。ハァーハァーと肩で息をしながら、美優はそのみの顔をじっと見つめる。
 やっぱりそのみは強い。試合の流れをこちらにもってこようとしてもそのみはそれをさせてくれない。逆に気を緩めたらペースを握られてしまう。
 ─────前に出て、勝負だ。
 美優が前に出た。呼応するようにそのみも前に出ていた。美優とそのみは同時にパンチを放った。空を切るような速さの二人の右ストレートは紙一重の差で明暗が別れた。
 それはリーチの差だ。
 リーチで五センチ勝っていたそのみの右拳が美優の顔面にめりこまれた。逆に美優のパンチはそのみの顔のほんの数センチ手前のところで止まっていた。
 めりこまれているそのみの右拳から、美優の顔がスローモーションをかけているかのようにゆっくりと離れ、マウスピースが口から漏れ宙に舞う。そのまま美優は後ろへバタンと倒れた。
 長く続いた打ち合いの終わりを告げる美優のダウン。そのシーンはあまりにも壮絶で、場内が静まり返った。


 レフェリーがカウントを取り始めた。それで、場内がまたざわめきだした。観客席の八割を占めるそのみのファンが、コーナーでカウントを聞いているそのみに声援を送る。彼等はもうそのみが勝利を手にしたものと思っているのだ。まだ、カウントはスリーまでしか数えられていない。しかし、そう思わせるほどに美優は派手に倒れ込んでいた。仰向けの体勢で両手を横に、両足は斜めにぴんと伸びている大の字のポーズ。そして、美優はその状態のまま動かない。
 カウントが進む。カウント6が数えられた時、そのみへの声援が止まった。美優が上体を起こしたのだ。美優は気力を振り絞り立ち上がった。
 レフェリーが試合を再開させた。そのみは接近し、左フックを美優の顔面にぶちこんだ。美優の顔は歪み、首がぐるりと左にねじらされた。間髪入れずに右のフック、左のアッパーが美優の顔面にぶちこまれた。力を失ったかのように美優の両腕がだらりと下がる。がら空きとなった美優の顔は目が泳いでいる。
 そのみが下半身に溜めを作り、右のアッパーカットのモーションに入った。しかし、そのパンチが放たれる寸前でゴングが鳴った。
 会長がリングの中に入り、棒立ち状態の美優を肩で担いだ。会長に抱きかかえられている美優はまだ、虚ろな目をしている。美優は自分がゴングに救われたことに気が付いていなかった。

 第6Rが始まるとついに美優はそのみのサンドバッグとなってしまった。6R序盤からそのみのパンチをもらい続け、美優はロープを背にし、逃げ場を失った。そして、そのみが自慢の強打で美優をめった打ちした。
 ズガッ!ズガッ!と強烈なパンチが美優の顔面にめりこまれる。そのみのパンチが美優の顔面に当たる度に美優の口からは唾液が吹き出された。そのうち美優の口からは唾液が吐き出されなくなった。そのみが放つパンチの雨を浴び続け、美優の口の中に溜まっていた唾液は全て吐き出されてしまったのだ。美優の口の中はからからの状態となっている。
 美優の両腕がまたもだらりと下がった。そのみは思いっきり踏み込んで、右のフックを放つ。
 だが、美優の行動はフェイクだった。美優はダッキングしてよけ、無防備となったそのみの顎めがけ、美優はフィニッシュブローの右アッパーカットを放っていった。
 グシャッ!!
 美優のアッパーカットがそのみの顎を抉った。美優の右腕が突き上がると、そのみの口から白い物体がロケットのように上空へ飛んでいった。そのみの体は気を失ったかのように後ろへ倒れ落ちる。
 そのみが倒れ、その横にマウスピースも落ちた。長い滞空時間だった。そのみが吐き出したマウスピースには血が滲んでいた。もちろん、そのみの血である。

 そのみはカウント8で立ち上がった。そのみの膝はがくがく揺れている。美優がラッシュを仕掛けてきた。美優の左ストレート、右ストレートがそのみの顔に直撃し、そのみの頭が吹き飛ばされた。
 さらに美優はパンチを連打で放つ。先程とは一転して、今度はそのみがサンドバッグとなっていく。美優のハードパンチにそのみは歯を食いしばりながら耐え続けた。
 何て強烈なんだろう、美優のパンチは。一発一発の威力が半端じゃない。
 ・・・・三度目の防衛戦の相手が美優に決まったとき、会長は喜んでいた。前回完勝した相手だから、今回も楽に勝てる、三度目の防衛はまず大丈夫だ、会長はそう思ったんだ、多分。でもあたしはまったく逆のことを考えていた。美優は最強の挑戦者だと。でも、あたしも会長と同じく、美優が次の防衛戦の相手になったことは嬉しく思った。病院でお見舞いして以来、私と美優はすっかり打ち解けて、お互いをライバルだと認め合うようになっていた。お互いを意識して、高め合ったからこそ、あたしも美優も勝ち続けることが出来たんだと思う。そして、成長したあたし達が日本タイトルマッチでまた試合をできるなんて最高だ。
 ズシャー!!
 美優の右フックがそのみの顔面にめりこんだ。
 グシャー!!
 美優の右アッパーがそのみの顎を突き上げた。そのみの口から大量の唾液が吹き出る。ものすごい威力のパンチだわ、気を失いそう、でも_______________
 グワシャアッ!!
 ものすごい強烈な音をリングの上に響かせた一撃。それはそのみが放った渾身の右ストレートだった。
 そのみの右拳が美優の顔面にめりこまれている。めりこんだそのみのグローブと美優の顔面の狭間から血が飛び散っていく。美優の頭が後ろに吹き飛ばされた。
 そのみのグローブから離れた美優の顔面は潰れていた。美優の口から飛び出たマウスピースが虚しく宙を舞い、美優は両腕をバンザイしながら、後ろへと崩れ落ちていく。
 バタン!!
 キャンバスに沈んだ美優はそのままバンザイをしながらカウントを耳にする。

 目に映る全てのものがグニャグニャとうねっていた。夢のような空間の中で、レフェリーが私の顔を見ながら、カウントを数えている。
 なんて・・・・なんて高いんだろう、そのみって壁は。どうしても、そのみの上を行くことが出来ない。あと 一歩がものすごく遠い。でも、勝ちたい。絶対にそのみに勝ちたい。私の意識は残っている。立たなきゃ。
 体が異常なまでにだるかった。体中の力を振り絞って美優は立ち上がった。カウントが9で止まった。
 カーン
 ゴングが鳴った。体中の力が抜けていった。倒れそうになったところを誰かが抱き留めてくれた。会長だ。会長は美優の体を抱きかかえながらコーナーへと戻る。そして、椅子に美優を座らせた。
 「会長、これ以上は無理ですよ。棄権しましょう」
 セコンドの紀藤さんの声だった。
 「まだ、私はやれます」
 美優は弱々しい声で言った。
 「両方の瞼が相当腫れている。そんな目で相手のパンチが見えるのか」
 紀藤さんが言った。
 さっきから視界が変だと思っていたらそのみの右ストレートで瞼が腫れ上がってしまったのか。たしかにほとんど何も見えない。でも─────
 「大丈夫です」
 美優は言った。
 「危なくなったらすぐに止める。それでいいな」
 会長が言った。
 美優は「はい」と頷いた。
 第7Rが始まった。美優の視界にそのみの姿は映っていなかった。タタタタタと勢いのある足音が耳に届く。狭い視界にそのみが姿を現した。そのときにはそのみはもうパンチを放っていた。目の前が赤で覆われた次の瞬間、グシャッという音が響き、美優の頭が吹き飛ばされた。
 美優の頭がコーナーポストに打ち付けられて、美優の体はその反動で前に崩れ落ちていった。美優の体はそのみの体にもたれかかり、ダウンを免れた。その偶然の出来事が状況を一転させていく。
 美優はすぐ目の前にそのみの顎があることに気が付き、右拳を振り上げた。
 グワシャッ!!
 そのみの体が浮いた。起死回生のアッパーカットがそのみの顎に決まったのだ。そのみの体が吹き飛んでいき、キャンバスに倒れた。


 「ワン、ツー」
 そのみは俯せの体勢のまま動かない。
 「スリー、フォー、ファイブ」
 そのみは体を動かして何とか立ち上がろうとする。
 「シックス、セブン」
 そのみは片膝をキャンバスにつけた状態で必至に力を入れる。
 「エイト、ナイン・・」
 「テン」
 レフェリーが両腕を交差し、試合を終わらせた。美優は笑顔でガッツポーズを作った。
 やった!勝ったんだ!

 美優は自分の部屋のベッドで体を休めた。体の疲れはすっかりとれたが、顔の腫れはまだ完全にはひいていなかった。
 美優は机の上に置かれてあるチャンピオンベルトに視線を向けた。これからはこのベルトを守らなくちゃいけないのか。みんなこのベルトを奪うために必至になって戦ってくる。ランキング一位の畑野選手、二位の藤田選手、それにそのみ・・・・・
今は休息期間なんだからボクシングのことを考えるのはよそうと美優は思い、パソコンのスイッチをつけた。メールが来てないか確かめる。一件あった。そのメールを見て、美優は微笑んだ。

元気してる?
あたしはもう全然オッケー。明日からジムで練習再開するんだ。
今度はあたしが勝つからね。

じゃあね
そのみ

 さぁてと返信でもするかな。
 美優は嬉しそうにキーボードにタッチした。





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