WINNER OR LOSER


 「美優」
 しゃがれた声で自分の名前を呼ばれ、美優はサンドバッグを打つの止めて、後ろを振り返った。目の前には思った通り、会長が立っていた。
 「喜べ、試合が決まったぞ」
 その言葉を聞いて美優の心が弾んだ。待ち焦がれていた試合がやっと組まれた。前の試合からもう四ヶ月が経つ。なにせ、女子ボクシングは選手の数があまりにも少ないので、試合を組むのにも一苦労だ。
 相手は誰なのだろうか?美優の心が期待で高まる。
 会長が続けた。
 「相手は平瀬そのみ。戦績は六戦全勝四KO」
 平瀬そのみ。
 彼女の名前は嫌というほど耳にしている。デビュー以来無敗で、強烈なパンチを武器に高いKO率を誇る今最も注目を浴びている新人だとか。
 だが、彼女が注目を浴びている最大の要因はその実力ではなく、アイドル顔負けの可愛らしい顔にある。虫も殺せなさそうな可愛い顔で相手選手を倒す彼女の姿に熱狂的な人気が集まっているようだ。
 そんな平瀬そのみに対して美優は少しばかり腹を立てていた。それは彼女の人気にではない。彼女がボクシングファン、関係者の間で今、最も有望な新人だと言われていることにだった。
 何で彼女が最も有望な新人なの?戦績、実力共に絶対に私の方が上じゃない。平瀬そのみがNO1ルーキーだなんてどうみても間違っている。
 だから、平瀬そのみとは一度戦ってみたいと思っていた。彼女に勝って、私の方が強いってことを大勢の客の前で証明したかった。
 「お前も知っている名前だと思うが、かなり強い相手だ。気を引き締めていけよ」
 そう言い残して会長は奥へ行った。
 「美優、ついに平瀬そのみとやるのか。これって結構すげえカードだな」
 横から順一が話しかけてきた。順一とは、共にプロボクサーであり、年齢が近いこともあり、よく話をする。
 「別に普通の八回戦のじゃない。メインイベントでもないだろうし」
 「何言ってんだよ人気者同士の対決だろ。この試合かなりの注目を浴びるぞ(美少女ボクサー対決だしな)」
 順一の言ったことは当たっていた。美優もそのみほどではないにしろ綺麗な顔をしており、人気も結構あった。期待のホープ同士の対決を待ち望んでいたファンは実際多かったのだ。
 私って結構人気あるんだなと美優は思った。それだったらなおさら、そのみに負けられないな。
 美優は気を引き締め直し、またサンドバッグを打ち始めた。

 そのみは自分の部屋でビデオを観ていた。髪が肩までのショートカットの選手が短髪の選手をロープに追いつめていた。そして、パンチの雨を浴びせていく。無数の連打を浴びた短髪の選手は前のめりに崩れ墜ちていった。ぴくりとしない。気絶しているようだ。ショートカットの選手は右手を上げ、顔に満面の笑顔を浮かべて、勝利を喜んでいる。その選手こそ、そのみの次の対戦相手、高橋美優だった。
 高橋美優の戦っているビデオを見て思ったことはとにかく接近戦が滅法強いということだった。自分も接近が得意であることから美優との試合が打撃戦になることは簡単に予想できる。相当ハードな試合になりそうだ。正直、次の試合は勝てるかどうか実際にやってみないと分からない。
でも、そのみにとって強い対戦相手は大歓迎だった。そのみはデビュー以来弱い対戦相手としか戦わせてもらえなかった。それは会長がそのみが負けることでそのみの人気が下がることを恐れていたからだった。逆を言えば、そのみを勝たせ続けることで、そのみの人気を高めようと考えていることになる。会長の思惑通りそのみは派手なKOで勝ち続け、人気だけなら、トップクラスにのし上がった。
 だが、そのみに対して、陰口をたたく者も少なからずいた。そのみの戦績は作られたものだ、そのみは弱い相手としか戦わない、観客を集める客寄せパンダにしか過ぎない。
 そのみはそういったことを言われることがたまらなく嫌だった。陰口を言わせないためにも強い対戦相手と戦いたかった。強い相手に勝って、自分の実力が本物であることを証明したかった。長い間、会長に頼み続けたことで、最初渋い表情を見せていた会長もついに折れてくれた。そして、高橋美優と戦うことが決定した。
 戦績は七戦全勝六KO。かなり強い。戦績だけならあたしより上だ。でも、この試合あたしは負けるわけにはいかない。

 試合の日がやってきた。美優が入場テーマ曲に体をのせながらリングに上がる。青コーナーにはすでにそのみが立っていた。
 くっきりとした鼻筋に柔らかそうな唇、雪のように白い肌、そのみの顔は直に見ると写真よりもさらに綺麗に見えた。観客がそのみに声援を送る。
 余りの多さにちょっとむかつく。でも、そのみの見せ場は試合が始まる前までだ。試合が始まったら  そのみは何もできない。私の見せ場だ。

 カーン
 試合開始を告げるゴングが鳴り響いた。美優は勢いよく飛び出していった。やることは決まっている。相手にいち早く接近して、打ち合いに持ち込む。それが、美優のファイティングスタイルだった。
 そのみも美優に向かってダッシュしてきた。美優の心は俄然燃えてきた。なるほどね、考えていることは同じか、分かりやすくていいや。
 この試合のオープニングブローは美優の右ストレートだった。だが、そのみもお返しの左フックを美優の顔面に見舞わせる。これを機に激しい打ち合いが続いた。
 ズドッ
 美優の左アッパーがそのみの腹に突き刺さった。そのみの体が九の字に折れ曲がる。
 チャンスだった。美優は下がったそのみの顎めがけ、右アッパーを繰り出した。
 ズガッ
 美優のアッパーカットがそのみの顎を吹き飛ばし、そのみはキャンバスに倒れた。場内がざわめく。
美優は右手で小さなガッツポーズを作った。苦しい打ち合いだっただけにこのダウンはいつも以上に嬉しく美優は感じていた。

 そのみはカウント8で立ち上がってきた。そのみの表情はかなり辛そうに見える。
 まだダメージが残っているはずだ。一気にいける。
 美優はそのみにとどめを刺すべく、向かっていた。美優は右ストレートを繰り出す。そのみはこれをヘッドスリップでかわし、逆に美優の顔面に右ストレートをぶちこんだ。
 思わぬそのみの反撃に美優は頭に血が昇った。よれよれの相手に打ち負けるわけにはいかない。
 美優はすぐに右フックを返す。だが、力みすぎて大振りになっていた。
 グワシャ!!
 白いマウスピースが高々と飛び上がっていく。唾液がリングに飛び散る。そのみの強烈な右のアッパーカットが美優の顎を突き上げていた。美優は後ろに崩れ落ちていった。


 

 「ワン、ツー」
 カウントが進む。美優は仰向けの格好で倒れたまま動かない。
信じられない、私がこうして天井を見上げているなんて。なんか現実じゃないみたいだ。私に倒されていったボクサー達もこんな風に思っていたのかな・・・・
 美優は顔を右に向けた。右腕が横にピンと伸びている。グローブの下当たりには白いマウスピースが落ちていた。・・・・・私のマウスピース。
 私は大の字で倒れているんだ、しかもマウスピースを吐き出して─────
 美優の心の中で怒りの感情がこみ上がってきた。
 アッパーカットをくらってマウスピースを吐き出して、大の字の上体で倒れるなんてどうしようもないくらい無様だ!
 美優は上半身を起こし、マウスピースを手にした。マウスピースには唾液がべっとりと付着していた。 汚らしいし、すごく臭う。美優は顔をしかめながらマウスピースを口に含む。
 この屈辱は絶対に返してやる!
 立ち上がってきた美優はそのみに向かっていった。
 今度はあんたがマウスピースを吐き出す番だ!
 美優は右ストレートを繰り出した。
 グシャッ!
 だが、パンチをぶちこんだのはそのみの方だった。美優はよろめきながら二、三歩後ろに退く。そのみが距離を詰めてきた。
 まずい!やられる!
 美優の表情が引きつった。
 カーン
 ここでゴングが鳴った。そのみは踵を返し、コーナーへと戻っていく。美優はその姿を呆然と見つめていた。

 ズシャー!!
 美優はそのみのパンチを受けてキャンバスに勢いよく倒れた。美優はこれで四度目のダウンとなった。美優は仰向けの体勢のまま、天井を見つめる。
 試合は5Rに突入していた。1Rのダウン以降、美優はそのみに一方的に打たれ続けていた。冷静な 心を失っている美優などそのみの相手ではなかった。美優のパンチはそのみにことごとくかわされて、逆にその隙をつかれて、そのみのパンチをいいようにもらった。そのみのパンチを嫌という程浴びた美優の顔はもはや原形をとどめていない。美優の頬はまんじゅうのように腫れ上がり、瞼も大きく、腫れ上がっている。左目は完全に塞がっており、右目が塞がるのももはや時間の問題だった。そのみはめっきり動きが遅くなった美優の体に着実にパンチを浴びせいていった。そのみは3Rに右フックでダウンを奪い、4Rにロープに詰めてからのフックの八連打、そして、5Rに入り、右のアッパーカットで美優の体を吹き飛ばし、四度目のダウンを美優から奪った。
 「ワン、ツー」
 カウントが進んでいく。美優は仰向けの状態で倒れたまま動かない。美優の顔の隣にはマウスピースが落ちていた。
 美優は虚ろな意識の中、デビュー戦のことを思い出していた。あの試合美優は一方的に対戦相手を攻め続けた。2Rに入り、強烈な右フックが相手の顔にヒットし、相手はマウスピースを吐き出して倒れていった。その姿は美優の心の中に深く残った。一生懸命戦った選手に対して、こんなことを感じるのはは失礼だと思う。でも、思ってしまった。─────マウスピースを吐き出して倒れる姿はとても惨めだ。そして、今は私ががマウスピースを吐き出して倒れている。しかも二回目だ。観客の目に私の姿は今とても無様に映っているんだ。どうしようもないくらい無様に・・・・
いや、今だけじゃない。私はこの試合ずっと無様な姿を客の前にさらし続けていた。この試合私の見せ場は初めだけだった。1Rの中盤以降はそのみに一方的に打たれ続けた。そのみの実力をみせつける引き立て役、そう観客達は思っているのだろう。このままでいいの?よくない。いいはずがない。  立たなきゃ、立って勝たなくちゃ何も残らない。
 美優は立とうと試みた。体が重い。美優は体中の力を振り絞る。美優の上体が起き上がった。そして、また力を入れる。美優はなんとか立つことが出来た。カウントは9まで進んでいた。
 そのみがダッシュして向かってきた。
 私はまだ終わっていない。その顔にパンチをぶちこんでやる。
 そのみが右ストレートを放ってきた。美優も右ストレートで迎え撃つ。
 グワシャッ!!
 決まったのはそのみの右だった。そのみのパンチが美優の顔にめりこんだ。美優は血反吐をまき散らしながら、大きく後ろへ吹き飛ばされた。飛び散る血反吐の中には歯も混ざっていた。
 美優はコーナーに背中が当たり、立ち止まった。美優は視線を前に戻すと目の前にはそのみがいた。
 グシャッ!バキッ!ズドッ!ドゴッ!
 ダウン寸前の美優を待ちかまえていたものはそのみのパンチの雨だった。そのみは美優をめった打ちする。美優はサンドバッグ状態となっている。
 虚ろな意識の中、そのみが右腕を後ろに大きく引くのを美優は見た。
 とどめの一撃だ。避けないと。
 だが、体が思うように動かない。
 そのみの右ストレートがうなりを上げて美優に襲いかかってきた。
 グワシャッァ!!
 そのみの右ストレートが美優の顔面にめりこまれた。


 

 美優の頭が勢いよく後ろに吹き飛ばされてコーナーポストにぶつかった。さらにそのみは追い打ちのパンチを放とうとしたが、レフェリーが二人の間に割って入り、そのみを制した。
 美優は前に崩れ落ちていく。レフェリーが美優の体を抱き留めて、キャンバスに倒れるのを防いだ。
 レフェリーが試合を止めた。
 カーン。カーン。カーン
 試合終了のゴングが鳴った。
 レフェリーは美優の容態を見た。美優は両手をだらりと下げ、上体を後ろに反らしたまま、顔は上を向いていた。美優の体からは力が全く伝わってこない。レフェリーはまるで人形を抱いているかのように感じた。美優の顔はめった打ちを喰らった数十秒の間でさらに酷い腫れ上がりをみせていた。美優は白目を向き、口を締まりなく開けたまま失神していた。無惨にも醜く変わり果てた美優の顔を見てレフェリーは同情せずにはいられなかった。ここまで凄惨に変わり果てた女子ボクサーの顔を見るのはレフェリーも初めてだった。美優のセコンドがやってきて、レフェリーは美優の体を明け渡した。
 レフェリーは青コーナーへと向かった。美優の顔をむごたらしいまでに変形させた張本人であるそのみはそんなことを気にもせず、天使のように可愛らしい顔に無邪気な笑顔を作り、勝利に喜んでいた。あの可愛らしい顔で一人の少女をあそこまでむごたらしく変形するまで殴り続けたのかと思うと少し気分が重くなった。
 そんなことを思いながらもレフェリーはそのみの右腕を上げて、勝ち名乗りをした。美優の方へ視線を移すと、セコンドが担架を呼んでいた。非常に慌ただしい様子だ。
一方青コーナーはお祭りのようににぎやかだった。そのみの周りにはセコンドが集まり、賞賛の言葉をそのみにかける。そして、そのみは両手を高々と上げて観客に勝利をアピールした。
 ぼろ雑巾のような姿で美優が担架で運ばれていく中、観客の喝采を受けているそのみの姿はまさに勝者のものだった。






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