第6話

 

エレベーターは5階で止まった。前にこの建物に来た時も5階に上がりその時は4つの中で左奥の部屋に入ったが、今回は右奥の部屋へと入る。

 部屋の中は左奥の部屋同様、絨毯の上にソファーなどが置かれ高級感溢れる作りだった。額縁に入れられてある写真が薫の目を引いた。多くは白黒でグローブをはめた女性の姿が映っているものだった。私服にグローブ姿というのもあるが、ほとんどはスポーツブラにトランクスに着替えリングで実際に闘っている写真でありその光景は女子ボクシングの試合そのものである。

白黒ということもあって相当古い時期に撮った写真だと伺えた。今よりも遥かに男尊女卑が激しかった戦後間もない頃あるいは戦前に女性がボクシングをしていたということだ。

一体どこで?どういう目的で?

 写真が気になってしかたなかった。

「椅子に座ろうか」

 威厳とカッコ良さの二つを備えた喋りだった。

 老婦人が奥のソファーに座り、薫も手前の椅子に座り向かい合った。

 「下山媛子。日本女子ボクシング協会の会長だよ」

 「水野薫です」

 薫は軽く頭を下げた。

 「デビュー戦観させてもらったけど、良いボクシングだったよ。水野アキラを彷彿とさせるね」

 「オレ・・わたしなんてまだまだです」

 薫は照れて肩を狭めた。

「親父のボクシングを知ってるんですか?」

 「一観客として程度でね。彼には魅了させるテクニックとガッツがあった。それは薫のボクシングからもひしひしと伝わってきたよ。睦月との試合で見せたボクシングは素晴らしかったよ」

 薫は頭を下げた。

「ただ、今日のスパーリングはまったくの別人だった。何か迷いが感じられる」

 痛いところを突かれて薫は口篭もった。

「中学の時からボクシングジムに通っていたと聞いてるよ。17才の頃にはプロを意識していた。だというのにキック主催の興行でボクシングの試合を拒否してきた。それはなぜなのか聞いておきたかったんだよ」

薫は顔を上げて媛子の目を見た。優しさと厳しさの入り混じったような視線だ。

「ボクシングの試合が出来ればキック主催の興行だというのはたいした問題じゃなかったんです。でも、国内だとどうしても女子ボクサーがほとんどいないから必然的にキックボクサーとボクシングの試合をすることになってしまう。オレはどうしてもボクサーと試合がしたかったんです。ボクシングが大好きだから、ボクシングを大切にしていたいから同じようにボクシングに打ち込んでいる女性に自分が練習して積み上げてきた力をぶつけたかったんです」

「もしも、あたしらが女子ボクシング協会を立ち上げようとしてなかったしても、一生意地張ってたのかい?」

 薫は首を横に振る。

「理想だけじゃ何もできはしないから・・金を溜めて海外に行って試合をしようと考えてました」

「全てをボクシングのために捧げる覚悟がなきゃできないことだ。心の底からボクシングを愛しているね」

 薫は真摯な眼差しを向けてこくりと頷いた。

「あたしもボクシングが大好きだね」

 薫が目を見開く。恥ずかしげもなくボクシングが好きだと言えるこの老婦人に薫は好感を抱いた。自分と価値観が近い人に初めて出会えたのだ。

 媛子が写真を指差した。スポーツブラにトランクスを着て、両腕にはボクシンググローブをはめている女性が一人ファイティングポーズを取って写っている。 

「あの写真は、昔のあたしだよ」

 薫は下がっていた目を再び大きく見開かせた。

「試合をしている写真もありますよね。ボクシングをしていたんですか?」

「ああ。今と同じように女子ボクシング協会を立ち上げようとしたんだ。JBCに潰されて試合ができないまま終わってしまったけどね」

 声が出なかった。今まで考えたこともない事実を知らされて頭の中が真っ白になっている。聞きたいことは沢山あるはずなのに。

 「なんで・・・」

息を飲み込み、なんとか、声を絞り出す。          

「なんでJBCに潰されたのに、JBCと組もうとしたんですか?」

 「“理想だけじゃやって何もできはしない“って言ったね。そのとおり。女子ボクシングを認知させるためにはどうしてもJBCの力が必要だった。それは否定できない事実だから利用した。いずれJBCからは離れるつもりだったんだよ。JBCが先に裏切っただけ。奴等もこの半年で世界チャンピオンが二人出来て、人気回復の目途が立ったのだろうね。どちらにしろ、いずれは対立する運命だったのさね」

 媛子が掌に拳を当て乾いた音を弾かせた。

 「50年越しのリベンジだよ。前は力を全く持っていなかったが今は違う。資金は腐るほどあるんだ、夫の残した莫大な遺産がね。どんな圧力にも決して屈しやしない。薫・・」

 媛子の瞳が一層鋭くなった。

「一緒に闘ってくれるかい?」

 握り拳に汗が溜まっていた。興奮のあまり震えが止まらない。体の中身が躍動しているように感じられた。

 薫は力強く返事をした。

 満足げに頷くと媛子は時計を見て時間が来たと言って立ち上がった。

 「すまないね。こちらから呼んでおいて」

 「いえ・・ただ一つだけ知りたいことがあるんです」

 「なんだい?」

 「なぜ、女子ボクシング協会を作ろうとしたのかその経緯を今度聞かせてもらえませんか?」

 「和泉キョウコとの試合に勝てたらその褒美にまた招待するよ。話の続きはその時にね」

 
 

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