第11話

 股を開き、両腕と頭がだるそうに下に垂れている。その垂れた顔からは荒れた息遣いが聞えてくる。薫は精魂尽き果てた格好で椅子に座っていた。
 「ペースはこっちのものだ。最終R倒しにいくんだ、いいな」 
 親父の出す指示に薫は無言で頷いた。すでに声を出すのも辛い状況なのだ。
 インターバル終了の合図が鳴ると薫が椅子から立ち上がった。
 「薫」
  英三の声に反応した薫は寝ぼけたような表情を見せる。
 「ほらっマウスピース」
 それでも表情を変えない薫に、英三は薫の口にマウスピースをくわえさせた。マウスピースを口にはめこんでいる最中も眉一つ動かさない薫に英三は赤ん坊の世話をしているかのような感覚を受けた。





 薫を待ち受けるのは破壊的なパンチ力を誇る睦月だ。そう思った途端、英三は不安な思いに駆られた。試合の主導権は今、薫にあるというのに無事試合が終わってくれるのだろうかという思いがどうしても頭から離れない。 英三の不安をよそに最終Rのゴングが打ち鳴らされ、薫は勢い良くコーナーを飛び出して行った。
 最終R、開始早々に薫はシフトウィービングを軸にして攻めていき試合の主導権を握った。
 パンチを当てては離れ、またパンチを当てダメージを蓄積させていく。試合は最終Rに入っても薫のペースで進んでいく。
 残り時間が1分を切った。
 飛びこんで死角からフックを当てると、薫は離れずに連打を浴びせた。
 時間内に相手を倒すため睦月の得意とする間合いでの殴り合いを薫は選んだのだ。
 睦月の手がまったく出ない。薫のパンチが次々と決まり、睦月の頭が右に左に振られていく。
 このまま倒れてくれと英三は願った。
 フックで睦月が横にふらついた。すぐさま、薫は距離を詰めまたラッシュをかける。
 睦月の顔面から血や唾液やら汚い液体が垂れ流れていく。美少女の面影はもう睦月の顔には残っていない。そして、目が泳いでいるかのように宙をさまよっている。
 その顔面に薫の右フックがめり込んだ。
 もう1発右フック。
 グシャァッ!!
 さらにもう1発右だ。
 ドボォォッ!!
 睦月の両腕がだらりと下がった。
 右のトリプルで決まったか?
 崩れ落ちていく気配を感じたその瞬間だった。
 ─────睦月の表情が一変したのは。
 眉を吊り上げ、歯を食い縛り闘争心を剥き出しにした表情で薫に殴りかかる。
 睦月の振り回した右フックが薫の顔面に炸裂し、薫の首がたまらず吹き飛んだ。
 もう1発。今度は逆方向へと吹き飛ぶ。
 睦月の逆襲が始まった。
 右ストレートが薫の顔面に突き刺さり、その衝撃で薫の鼻孔から止まっていた血がまたも垂れ流れてしまった。睦月は非情な選択を選ぶ。さらに2度ストレートを薫の鼻に打ち込み大量の鼻血を噴き出させたのだ。2発目のストレートが決まった瞬間、栓が抜かれたかのごとく薫の顔面からは鼻血が激しく噴出した。
 睦月がパンチを連打。吹き飛ぶ薫の顔から血飛沫が舞う。睦月が鬼気迫る表情で薫の顔面を何度となく殴り潰す。
 薫の顔面にパンチが当る度に血が跳ねキャンバスが赤に染まっていった。7Rまでに流れ落ちた血も合わさって、キャンバスには無数の赤い染みが出来上がっている。そのほとんどが薫の吹いた血だ。
 打ち合いはやはり、睦月のものになってしまったのかという空気が漂いつつあった。もう10秒以上薫はパンチを出さず亀のように体を丸めている。
しかし、薫も負けていなかった。睦月の右ストレートをかいくぐるとどてっ腹へと右アッパーを突き刺した。睦月は鬼気迫る表情だったのが一転して苦痛に歪んでいく。
「ぐうえぇっ!!」
突き出た唇の間からマウスピースがはみ出て、だらだらと涎が垂れ流れる。





 薫が追撃のパンチを入れた。
 今度は睦月が返す。
 ノーガードの打ち合いだ。
 グシャっ!!ドカァッ!!バキィッ!!
 二人の顔面からは絶えずパンチのヒットした音が響き渡った。
 さらに重い音が生じ、その音と供に血飛沫が宙に舞い上がる。その血は睦月の顔面から噴き出ている。
 睦月がふらふらと後ろに下がった。
 薫が勝つことを祈りながらも英三自身驚きを隠せなかった。
 まさか、薫が睦月に打ち勝てるとは思えていなかったのだ。
 最後のチャンス。
 薫が距離を詰めていく。最後まで油断せずに死角から左フックを放つ。だが、睦月も右のパンチで応戦に出ていた。
 二人のパンチが交錯すると、お互いのパンチは共に相手の顔面へとめり込む。
 グワシャァッ!!
 「げほぉっ!!」
 「ぐはぁっ!!」
 薫と睦月がほぼ同時に血を吐いた。
 血が宙に噴き上がっている中、薫と睦月の動きが止まっている。
 二人は醜く歪んだ顔面を観客の前に見せていた。薫の顔面は頬に右拳がめり込まれて醜い顔が一層、醜くなってしまっている。だが、睦月の顔も薫に劣らず醜い形に変わっていた。
 二人の体がぷるぷると震える。
 何秒の間だっただろうか。薫と睦月がお互いの顔面にパンチをめり込ませたまま体を震わす状況が続いた。
 その異様な光景から逃れ、先に動いたのは薫だ。睦月の右の拳が頬から外れ、薫は残った右拳でストレートを放った。薫のパンチは空を切り、薫の戸惑う顔を睦月が下から見上げる。
 次の瞬間、鞭のようにしなやかに伸び上がる睦月の右のアッパーカットが薫の顔面にめり込んだ。
 グワシャァァッ!!!!
 薫の顔面から破壊の音が打ち鳴らされた。
 睦月は勝者であるかのように右拳を高く突き上げ、薫は潰れた顔面を真上へと向けられ両腕がだらりと下がった。
 睦月のアッパーカットがもたらした結末に英三は絶句した。真上へと向けられた薫の顔面が英三の目に捕えられた。両目が塞がり、鼻が拉げ、上唇と下唇がそり返る。薫の顔面は睦月のアッパーカットで醜悪に破壊されていたのだ。
 歪んだ口からは大量の血と供にマウスピースがどこまでも高く飛ばされていく。そして、ついには天井のライトに当たり、赤い染みができた。










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