第4話睦月は電車の中で座席に座り、小説を読んでいた。小田急線の各駅電車は急行と違い、いつも座られる。
窓の外を見ると丁度高級な住宅街だった。緑がそこそこにあり、人気の少ない街並みはどこかゆとりがあるように感じられる。小説を読み、時々、気分転換に窓の外の光景に目をやるのを睦月は気にいっていた。
電車の揺れに身を任せているだけというのも時間の無駄に感じられ、ここ最近は登下校で小説を読むのが習慣だった。
「下山さん」
小説を開いたまま睦月は顔を上げた。クラスメートの小宮山君だ。睦月よりも小さい小宮山君は身長160センチに満たない小柄な少年だ。運動が苦手でいつも、本ばかり読んでいる印象があった。
「同じ電車だったんだね。隣いい?」
小宮山君は少し頬を赤く染めて訊いた。
「うん」
睦月はそのまま本を読み続けた。
「何の本を読んでるの?」
「沖田俊介のR・E・D」
「読んだことないな。それ面白いの?」
「まぁまぁかな」
それっきり小宮山君は黙ってしまった。考え事をしているかの表情は話す言葉を探しているのだろう。
「下山さん、実は僕知ってるんだ」
小宮山君の声は少し震えていた。
「知ってるって?」
空気が変わっていても睦月は平然と訊いた。
「下山さんこれからボクシングジムにいくんでしょ」
「そうだけど」
それでも睦月は平然としたままだ。
「部活で体を動かすのじゃ物足りないの?下山さんに相応しいスポーツは他にたくさんあると思うよ」
睦月はきょとんとした。
───────小宮山君はあたしのことを虫も殺すことの出来ない心優しい女のこと思っているのかな。たとえ、物にでもパンチを打つなんて下山さんには相応しくないって。
だとしたらサンドバッグやミットだけじゃなくて人も平気で殴っていることを告げたら小宮山君は卒倒してしまいそうだ。
「そんなことないよっ」
「じゃあ痩せるために?でも、下山さんは今のままで十分だと思うよ」
睦月はにっこりと微笑んだ。
「ボクシング楽しいよ」
「えっ・・」
電車が止まった。睦月は立ち上がり、小宮山君に顔を向けた。
「また明日ね。小宮山君」
そう言い残して睦月は電車を出た。
どうも、小宮山君は時代錯誤した女性のイメージを持っていて、睦月に重ね合わせている。
女性らしい振る舞いを意識したことなどなかった。わざわざイメージを作る必要なんてない。自然であることが一番だと睦月は常々思っているのだから。
それでも、小宮山君は睦月のことを誤解している。野蛮な行為などするはずのないしおらしい女のこという美化したイメージを作り上げてしまっている。
そう思われるのも悪いことじゃないと睦月は思った。異性として特別な感情を持たれることも。
おそらく、小宮山君は頭が固いのだろう。
女性が人を殴ってはいけない。
女性がボクシングなんてするもんじゃない。
女性に殴り合いなんてできない。
女性はボクシングに向いていない。
そう考える人の数が多いからこそ、日本では女子ボクシングが認められていなかった。
ボクシングをする女性の心を度外視した男の思い上がりだと媛子お婆ちゃんは常々言っている。
逆に睦月は男性の考えよりも女性がボクシングをどう思っているのか、どちらかといえばそっちに興味を持っていた。
ボクシングをすることに抵抗を感じる女性は多い。では、ボクシングジムに通っている女性も相手を殴 ることには抵抗を感じている人は多いのか?
もし抵抗を感じる人が多いのなら──────
睦月にはわからない感情だった。睦月はボクシングに抵抗を感じたことなどなかった。人を殴ることにも抵抗を感じない。
ボクシングをすんなりと受け入れることができたのだ。
たとえ、殴ることに抵抗をかんじる女子の数が多いとしても睦月は自分は自分だからと困惑はしないだろう。周りと考えが違おうが同調しなければならないという考えは睦月にはなかった。
その睦月も試合が決まり、少なからず恐怖心は抱いている。それがどの程度なのかは睦月自身もわからない。
そんな時には対戦相手である薫のことを考える時もあった。
彼女はどうしてボクシングを始めたのか?
対戦相手に興味を寄せるのも面白いことだと睦月は感じていた。
薫の外見が美しいからかもしれない。もし、薫が男と区別も付かないような外見をしていたら興味は湧かなかっただろう。
でも、今一番睦月が興味を持っているのは、試合が終わった後、自分がボクシングをどう思っているかだった。
今は嫌いではない。どちらかといえば気に入っている。
睦月が持っているボクシングへの思いはその程度にすぎない。
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