第9話

 「祥子さん、これ以上水野を撮っても掲載できないっすよ、あそこまで顔が酷い形に変わっちゃ」
 「いいのよ、睦月と同じくらい薫の写真を撮りなさい。敗者がいてこそ勝者の強さが伝わってくるものよ」
 「だから、載せられないって」
 「苦情は覚悟の上よ」
 祥子は両手で互いの肘支えながら、冷静にリング上の光景を見つめていた。
 リング上ロープ際では、薫が大の字で倒れている。
1Rから試合は睦月が主導権を握った。それでも薫は自慢の左ジャブで必死に抵抗を見せた。
 完全に試合を支配したのは第4Rにアッパーカットで薫からダウンを奪った時。凄まじい威力に薫の体が浮き上がったほど強烈な一撃だった。
 薫が立ち上がったあと、リング上は凄惨な場へと変わった。
 睦月の殺人的なラッシュを薫はサンドバッグのようにもらった。パンチが当たる度、血飛沫が舞い、血の噴き出ていく薫の顔は醜悪に変形していった。ゴングで救われるも、次のRでも再び薫は睦月に滅多打ちされ続けた。
 ラッシュのラストを飾る睦月の豪快なアッパーカットで薫はロープに振られて前に崩れ落ちた。
 勢い余ってごろりと体が仰向けになり、痣だらけの体を皆の前に晒す。それが、今の薫の姿である。
 おそらく、薫は自分が睦月の前に成す術もなく打ちのめされるとは思ってもいなかったのではないだろうか。
 少なくとも、同伴していた英三は睦月の実力を過小評価していた。試合交渉の日、二人の目の前で睦月が見せたミット打ちが3割程度の力で叩いていたことにも気付かずに。
 下山玲人から日本で女子プロボクシングの試合を開催する件を持ちこまれ新聞で積極的に取り扱って欲しいと頼まれた時、祥子は一過性のムーブメントで終わる、いやムーブメントすら起こらないのではないかと冷ややかに捉えた。女性がするボクシングがプロと呼べるものといえるほどのレベルには到達できるはずがない。
 祥子の態度が変わったのは薫と睦月の写真を見た時だ。まず、驚いたのが睦月のアイドルとしても立派に通用する美貌である。薫の方も睦月に比べると見劣りするが、世間一般の女の子と比べても遥かに可愛らしい顔の持ち主だった。しかも薫には世界チャンピオンの娘という肩書きがある。
 薫を女子ボクシング界の主役に据えれば十分成功もありえるのではないかという思いが沸き上がった。睦月は睦月で使い道は十分にある。
 しかし、その思惑は一変することになった。下山ボクシングジムで睦月のボクシングを見た時、祥子は暫くの間、呆然とした。とても細腕から生み出されとは思えないパンチ力でサンドバッグが軽々と吹き飛んでいく。 
 その時に薫よりも睦月を主役に据えるべきではないかという計算が生まれた。
 「女子ボクシングの主役は睦月だ。不満はないだろう?」 
 隣に立つ玲人はうっすらと笑みを浮かべている。
 玲人にはめられたみたいね・・。
 祥子は息を付く。
 でもはめられる価値はありそうじゃない。
 祥子は玲人の思惑に乗ることにした。
 水野薫と下山睦月の決戦日、8月11日は薫が主役である。水野アキラの娘とあれば他のマスコミもほっとかないだろう。もちろん、祥子の新聞でも薫を大々的に扱う。
 試合が始まる前までは。
 そして、試合が終わった後、思わぬ形で女子ボクシング界のカリスマが誕生するのだ。
 試合は計算どおりに展開している。睦月のKO勝利は時間の問題だ。明日の一面は無理としても裏面にカラーで睦月のKO勝利を飾るつもりだ。
 薫を応援していた観客の空気もすでに変わっていた。つい今しがたまで倒せコールが湧き起こっていた。そして、薫が倒れた今は睦月コールになっている。観客の応援とは残酷なものである。
実力、ボクシングスタイル、そして、薫以上の美貌。17才という若さ。ニ世ボクサーの肩書きを薫から取ってしまえば睦月は全ての面で薫よりも魅力的なボクサーである。観客が睦月を選ぶのは当然の選択だ。
 「ニューヒロインの誕生ね」
 祥子はうっとりとした笑みを浮かべた。






SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送