第23話


 「本気で言ってるの?」
 「本気よ」
 「あたしのマウスピース2個しかないんだよ」
 「それでもかまわないから」
 夏希は顔を下げ、だるそうに息を吐く。馬鹿じゃないと言いたげな仕草だった。
顔を上げると口を開けた。
 「分かった。君の挑戦受けるよ。でも、試合をするのは30分後。じゃないと挑戦は受けられない」
 「分かった」
 「じゃあ、30分後にこのリングの前で」

 和葉は壁端にまで移動させられて寝かされている明日香の元に着いた。壁にもたれかかるように座って明日香の顔を見た。
痣だらけとなった顔を向けて明日香は目を瞑り眠っている。このまま意識が取り戻されなかったらといった不安ばかりが頭をよぎる。
 亜莉栖も和葉の後を付いてきて和葉の隣に座っている。 
だが、リングを下りて以降、亜莉栖から言葉がかけられることはなかった。なんて愚かな行動を取ったのだろうと亜莉栖も思っているのだろう。
自分でもそう思う。
 明日香のために大事なマウスピースを1つ上げた。これだけでも充分、愚かな行為だが、さらには明日香の敵を取るためにマウスピース2つの相手に勝負を挑むなどという理から外れた行動を取ってしまった。
マウスピースを上げるだけか、もしくは夏希に試合を挑むのどちらかだけならまだ被害は少なかったが、両方の行為が重なることで和葉のゲームをクリアーする道筋に大きな支障がきたしている。
 マウスピースを与えなければ持ち数は5つで夏希に挑むのも1つの選択肢として間違ってはない。
 しかし、マウスピースを与えてしまったことで和葉のマウスピースは計4個。それならばさ3個の人間を相手に選び、1試合で済ませるのがマウスピース譲渡の損失を最小限に抑える正しい選択である。しかし、2個では1つ足らないわけでもう1試合必要となる。
 1勝と連勝では、難易度がまるで違う。まして和葉はこれまでの激闘のダメージで限界寸前の体である。残り1試合が限度といっていい。
 ゲームを勝ち抜くには間違いだらけの愚の骨頂といっていい行動だ。それでも、自分の行動を支持してくれるだろう人間が少なくとも一人はいる。
その人間の顔を和葉は思い浮かべる。
 ─────珠希、間違ってないよね私・・

 人の姿が見かけられなくなり静まった放課後の廊下を和葉は歩いていた。トイレを通りすぎようとした時、女のこの声がかすかに耳に入り足を止めた。がやがやと賑やかな授業の休み時間だったら気付かなかっただろうごくごく小さな悲鳴だった。しかし、トイレのドアからはけっして聞き間違いではなくイヤと泣き叫ぶ声が届いてきた。
 和葉はドアに近付き耳をたてた。聞こえるやろがこのボケという脅しの声が届く。
 それっきりドアからは音がしなくなった。
 和葉は表情をなくした。
 耳に覚えのある台詞だった。関西弁を使う女子生徒は和葉の学校にそうはいない。
 また、やってるんだ彼女・・。
 扉の先にいる関西弁を使う少女本田エミリは根っからの苛めっ娘だ。半年前は和葉自身がトイレでなされていることと同じ目に危うくなりかけた。きっかけは校舎の裏で彼女がたばこを吸っているところを目撃してしまったからだ。逃げようとした和葉の右腕を捕まえたエミリは気味の悪い笑みを見せて逃げるなよと脅しをきかせた。それから、エミリは携帯で連絡を取り、二人の仲間を呼び寄せた。和葉はけっして先生には言わないと誓うも彼女たちの耳には届かない。 
人数がそろったところで、和葉はいきなり腹にパンチをもらい、膝を突いてうずくまった。
相手はブチ切れているのだと体でもって味あわされ、ただでさえ歯向かう意思のなかった和葉の心は完全に力をなくしてしまった。
 「財布出しいや」
 エミリの汚い心を剥き出しにした要求にも和葉は抗わずに従順に財布をバッグから取り出す。
 「なにやってんだ!!」
 絶望の時から救い出す声の主は珠希だった。
 話し合いが通じる相手ではない。珠希とエミリ組の闘いは避けられるものではなかった。
1対3の不利な殴り合いにもひるまずに珠希は闘う。結果は四者がボロボロに傷付き合い、痛み分けで終わる。その中で和葉だけが一人無傷だった。
 自分が情けなくてしかたなかった。なぜ、珠希を助けようと自分も喧嘩に加わらなかったのだろうか。なぜ、何もせずにぼうっと突っ立っていたのだろうか。
 言い訳にしかならないが、足がすくんで動けなかったのだ。臆病な心が足をすくませて自 分一人安全な場に居座らせた。
 一人で闘いボロボロとなった珠希はそれでも和葉を責めずに痣だらけの顔に笑みを浮かべた。
 「気にしなくていいんだ。人を殴るなんてバカな人間がするもんだからね」
 和葉の目から涙が零れ落ちる。手で抑えても止まらずに溢れ出てくる。
 和葉は本当の友達を知った。自分のために体を張って守ってくれる人の優しさを知った。
 しかし、世の中には自分の都合だけで生き、他人の痛みを分からずに平気で傷付ける人間もいる。 
 それが本田エミリだ。
 半年が経過しても彼女は同じことを繰り返している。この先も人の痛みをわからずに人を傷つけていくのだろう。
 だからといって和葉にはどうしようもなかった。自分が絡まれなくなっただけでも良しと思わなければならない弱い人間だった。 
 和葉はトイレから逃げるように離れた。
 なんで本田エミリの苛めを止められないのだろうと自分の勇気のなさを責めた。責めていじけることしかできなかった。
─────私では珠希のような強い人間にはなれないんだ。
 心が強ければ家で一人父の帰りを待っているのも辛くはないのだろう。心が強ければどんな辛いことにも耐えられる。心が強ければどんな相手にも自分を曲げず意志を貫き通せる。少しでも突つけばヒビが入る弱い自分には到底持てないもの。自分はなんて情けない人間なんだ。 
 なにもかもが嫌になりそうだった。
 和葉は下を向いて歩く。クラスの教室に戻り、ドアを閉めるとそこには明日香の姿があった。



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