第25話
世界が揺れていた。薄く開けられた視界から歪む人間の体が映る。
誰?
胸をさらけ出し鼻先からそばかすの広がっている顔は亜莉栖だ。
「時間だよ和葉」
世界が揺れているわけではなく、自分が揺らされているのだと和葉は気付きうんと声を絞り出し亜莉栖を止めた。
和葉は目をこすりながら体を起こした。
「目覚めた?」
「うん・・」
まだ少し頭がぼうっとしていた。
「亜莉栖お願いがあるんだけど」
「なに?」
「顔を張ってくれないかな。まだ目が覚めないみたいなの。このままじゃ」
言い終わらないうちからぱしんと頬に衝撃が走った。和葉は思わず左の頬に両手を当てた。
そこまで力込めなくても・・・。
でもおかげで目が覚めた。
「試合開始まで5分。これから作戦教えるけど時間ないから集中して聞いて」
「作戦見つけられたの!」
亜利栖はうんと答えるとすぐに話の続きを始めた。
「やっかいなのが・・相手の反則だよね」
和葉は頷く。夏希の実力はそれほどではない。林檎の方が数段実力は上だろう。やっかいなのは反則だけであり、ただそれがとても厄介なのだ。
「考えたんだけど、反則ってレフェリーに見つかったらまずいじゃない。反則負けになることだって十分あるんだし。だから・・反則はピンチに立たされないと使わないと思うよ。しかも、ばれないように一発で決めたいはず。だと仮定したら、反則がばれなくてかつ当てやすい時って連打で攻め立てられている時だよね。現に明日香の時はそうだったわけだし、確実に決めたい夏希にとっては明日香戦をならって同じケースで打ってくる可能性が一番高いと思う。間違いないってわけじゃないけど・・可能性としては大きいんだから反則がくるってある程度予測できたら避けられると思うけど・・どうかな・・?」
夏希の気まぐれでどうにも変わってしまう穴だらけの推理だが、それでも勝利への突破口の糸口が見えてきた気になれた。
「ある程度打つ時が予測できるだけですごく助かるよ」
「それでね、あと、目に親指入れようとするんだから、ストレートっぽい軌道になるでしょ。接近していたらフックを打つべきなのにストレート。しかも、確実に目を入れるためにスピードを緩めないといけない。ここまで材料が揃ったら十分避けられるよ。しかも、避けるといっても目を瞑るだけで十分。ちょっとは痛いだろうけど、反撃でもっと痛いパンチをお見舞いすればもう目潰しはできなくなるよ」
「そこまで考えてくれたんだ・・」
自分のために反則対策を細かいところまで練ってくれた亜莉栖に感激で和葉は胸が一杯になった。
和葉は心の中で決めた。夏希をパンチの連打で絶対に追い詰める。そして、反則に出てきたところを逆に利用してとどめの一撃を入れるんだ。
「こんなところだけど・・なにか質問ある?」
和葉は首を横に振った。
「あと2分。準備した方がいいよ」
「あっいけないっ」
和葉は慌ててボクシンググローブを両手にはめた。
リング上にはすでに夏希が青コーナーに待機していた。両肘をロープの上に乗せているその姿は和葉の目にとても強そうな相手に映る。
“負けられない“
自分に言い聞かして和葉は立ち上がった。
リングの中に入り、自分がはめるマウスピースを除いて全てのマウスピースをレフェリーに渡した。
賭ける数は2個と確認を取った。
電光掲示板に和葉の総マウスピース数4個、夏希の総マウスピース2個、この試合に賭けるマウスピース数2個と文字が掲示される。
明日香が夏希と闘ったリングでそして明日香の陣営だった赤コーナーを和葉は背にし、キャンバスの上に足を付けた。そこはちょうど明日香がノックアウトされた場でもある。下には一つの大きな赤い染みとその他にも斑点上に赤い染みがいくつも残されている。和葉は明日香がノックアウトされた凄惨な光景を思い出さずにはいられなかった。
でも、足はなんとかすくまないでいてくれている。和葉を支えているのは夏希に対する許せないという憎しみの感情だ。和葉のこれまでの人生の中で憎いと思うことは少ないながらも何度かあった。本田エミリなどの人の心を平気で傷つける人間などにである。それでも、殴ってやりたいと攻撃的な発想にまで及ぶことなどけっしてなかった。暴力が非日常の和葉にとっては相手に天罰が当たって欲しいと神頼みが精一杯であった。それが今では夏希を殴り倒したいと望んでいる。
和葉の心の中で膨らむ夏希を倒して明日香の仇を討ちたいという思い。それと同時に明日香のように失神してもなお殴られ続けて瀕死の状況に陥るのではないかという恐怖もなお消えずに強く残り闘争心と恐怖心の二つが和葉の心の中で交錯している。
レフェリーに呼ばれ、和葉と夏希はリング中央へと向かった。対峙すると、一段と気持ちが高ぶり和葉は夏希の顔を睨みつけた。唇を強く尖らせて結び、目を上目遣いにすると自然と眉間に皺が寄った。
夏希は顎を上げ、視線を上へと反らしている。
怖気づいたの?それとも、申し訳ない気持ちで目も合わせられなくなったの?
レフェリーのルール確認が終わろうとした時、夏希が頭を元に戻し、睨みつけてきた。思わず和葉は怯んでしまった。それを見た夏希は小馬鹿にしたように笑みを浮かべる。
和葉の頬がみるみるうちに赤く染まる。
悔しさ以上に恥ずかしさにたまらない気持ちになった。
やっぱり、私は弱いままなの・・
弱気の虫が顔を覗かせる。
大丈夫、私、2連勝しているんだから強くなってるよ。
自信を持たないとと自分に言い聞かせる。
青コーナーで亜利栖が口にマウスピースをはめてくれた。これで闘いの準備は出来上がる。
ゴングが鳴り、和葉は飛び出した。残された体力のことも考えてベストな作戦は速攻だと考え至っていた。
夏希の元まで駆け足で近づくと足を止めてパンチを当てた。そこから、体力が持つ限りパンチを振り回していく。
一発、二発、三発。
立て続けに振り回しのフックが夏希の顔面を捕らえた。不意を突かれて呆然としている夏希の表情。畳み掛けられるかという期待が生まれようとした瞬間、和葉の頬に衝撃がぶち込まれた。
ズドオォッ!
「ぶほおぉっ!!
和葉の口から唾液が漏れていく。攻勢に立てるのではないかという期待が和葉の心を緩ませていた。予期していなかった一撃に、そしてカウンターで返されたことに耐えられず、目が回った。
グシャアッ!
「あうぅっ!!
追撃の右ストレートが和葉の鼻を潰す。つんと突き刺す痛みに思わず鼻に手をやってしまった。その隙を見逃さず夏希が攻め立てた
しかも、クレバーにも鼻へのピンポイントブロー
一発、二発
そして、三発目の右ストレートで鼻は拉げて血が噴き出た。
ブシュウッ!
赤い霧状となって飛び散る鼻血が目の前で煌びやかな光を放っているのを呆然とした表情で和葉は見つめていた。
そこへダメ押しでさらに右ストレートを鼻に打たれ、出血はますます酷くなった。
本能がそうさせているかのように和葉は攻撃の姿勢から一転して弱々しく亀のように体を丸めた。
ガードの上からパンチの衝撃が降り注がれてくる。早くも劣勢に立たされ、和葉は相手の顔も見ることができないくらいにガチガチに自分の顔を両腕で固める。
こんなはずじゃなかったのに・・
早くおさまってと思うものの和葉の気持ちを嘲笑うかのようにパンチの雨は一向に止まない。ガードしてても両腕は痛みに襲われる
ドボオォッ!
「ぶおぉぉっ!!
和葉が目を大きく見開かせると同時に口も苦しそうに開いた。夏希のパンチがボディにめり込まれている。
グシャアッ!
今度は顔面に右ストレートを浴びた。夏希は上下にパンチを打ち分けていくよう攻め方を変えてきている。
反撃に出ないと・・
パンチの連打が激しいために、中々割り込む機会が見出せない。
でも、このままじゃ・・・
意を決して和葉が踏み込む。大振りの左フック。相手は怒涛のラッシュの最中。打ってはいけないタイミングとはまさしくこのことだった。
最悪の反撃は痛恨の結果を和葉にもたらせる。
グワシャアァッ!
「うぼおぉっ!!
夏希のラッシュがようやく止まった。
和葉のパンチは空を切ったというのに・・・・
だからこそ痛恨なのだ。
夏希のパンチはクロスカウンターとなって和葉の頬にめり込んでいる。
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